テキトーなムスリム、エジプトは失業率が低い説

 昼間はノロノロ自習したりして過ごす。
 昨日M氏にイフタールに呼ばれていたので、マグリブ前に出動。貧者への施しのテーブルを出している脇で(M氏は結構羽振りが良い)、一緒にご飯を食べることにします。
 と思ったら、M氏本人は断食していません! 昨日は「暑いから水だけは飲むようにしている」と言っていましたが(わたしもグラタン事件以来この「なんちゃって断食」)、水どころかタバコも吸ってるし、「さっき食べたからイフタールいらない」とか言っています。
 カナダ人ということもあってか、わたしが今まで会話した中で、最もいい加減なムスリムです。お酒も飲むらしいです。
 本人の言によると「スピリチュアル・ムスリム」で、「重要なのは形じゃない」「ファンダメンタリストはアホ」「神はわたしたちを苦しめるために作ったわけじゃない」とのことです。ちょっと形を軽視しすぎだと思いますが、こういういい加減なムスリムと交流することは、個人的にずっと願っていたことなので、ラッキーと言えばラッキーです。
 念のためですが、「いい加減なのが良い」とは思っていませんし、形が全然要らないという考えには反対です。ただ、こういう大雑把なムスリム「も」いて、それでも神様を信じていて、できる限りの信仰実践をしている、という風景全体が好ましいと感じています。
 遠い国の情報が上澄みだけ伝わるのは仕方がないし、他所様にはカッコイイ所を見せようとするのも無理ないですが、ムスリムがほとんどいない日本におけるイスラーム観は、余りにも形式的なものに偏っています。悪いことに、おままごとみたいなルールにやたら拘泥するのは日本人の大好きなところで、一部の日本人ムスリムがやたら教条主義的な面を喧伝しているようにも見受けられます(いい加減な面をアピールするのも変なので、これも普通かもしれませんし、そういうタイプのムスリムは世界中にいますが)。
 ただ、この点についてはもうちょっと複雑な要素もあって、ムスリムが少数派の国になるほど、自らのアイデンティティを確認するためか、信仰実践がより厳密になる、という傾向があるようです。これはこれで、心情的にはよく理解できます。カナダで暮らすエジプト人ムスリムたちがいかなるアイデンティティを形成するかについての報告で、母国で信仰実践が大雑把だった人が、移住をきっかけにムスリムとしての自覚に目覚める、というのを読んだことがあります(書名が思い出せない!)
 いい加減ムスリムでも、施しはそれなりに太っ腹だし、毎日自分で大量の食事をこしらえているようです。「お金を貯めてもあの世に持っていけるわけじゃない。善行を積むのは、死後に備えて木に水をやって育てるようなものだ。みんなも幸せになるし、わたしもハッピーだ」。
 ご馳走になったイフタールはこんな感じ。
イフタール
施し
 超定番メニューです。別に特に名前もない平凡な食事ですが、この構成は個人的に非常に好きです。サラダ、ヌードル入りの米、トマト煮込み、ペストリーに、イチゴジュースと生ナツメヤシ。生のナツメヤシはバラフといって、乾燥したタマルとはまた違う味わいがあります。写真には肉も写っていますが、肉は食べないので他の人に食べてもらいました。
 別に高級な料理でもないし、シュワルマとかコシャリといった有名ファストフードでもありませんが、こういう普通のものの方が遥かに美味しいです。米とサラダとトマト煮込みがあれば、他に何も要らないです。
 イフタール後、M氏のアパートにお邪魔する。
 念のためですが、こんな風に他人の部屋についていくのは、一般的にはまったくお薦めしません。ルームメイトと同居なのがわかっていたし、いざとなれば何とでも切り抜ける自信があるので、敢えてささやかなリスクを負っているだけです。
 多少なりともシタゴコロがあるのは初めからわかっていますが、それを言ったら、こっちも情報が欲しいというシタゴコロがあるので、駆け引きはお互い様です。
 授業の時間が迫っていたのでちらっとしかお邪魔しませんでしたが、非常に綺麗な部屋でびっくりしました。わたしの部屋よりずっと片付いていて、しょっちゅう神経質にあちこち磨いています。エジプト人の同居人に「ものは元の場所に戻す」ということを教えるのに半年かかった、とボヤいていましたが、本当にマメで感心しました。
 ちなみに、カイロ・アメリカン大学がニューカイロに一部移転した関係で、新市街中心部では家賃が下落傾向にあるらしいです。彼の部屋は2LDKで1600ポンドとうちより安いですが、家具つきではなく、ペンキ塗りから全部自分でやったそうです。
 授業に向かう途中、マイクロバスの運ちゃんが例によって「シーニーか? ヤーバーニーか?」とか聞いてくる。「ヤーバーニーヤだよ」と答えると「結婚してる?」と言います。指輪を見せると(本当は結婚してない)、運ちゃんが自分の指輪を外す動作をして「俺は結婚してない」とジョークを飛ばして、大笑いしました。
 久々の授業。S先生のお父さんぶっ倒れる騒動と休日が連続して、実に四日も授業がなかったのです。すごいことです。その間、わたしは何をしていたのでしょうか(笑)。
 「お父さんが倒れた」というのは、定番の言い訳ですが、彼のお父さんが高齢でしょっちゅう倒れていて、男兄弟がいなくて責任重大というのは事実なので、言い訳ではなく本当だと思います。付き合いも長いので信用することにします(嘘だとしても敢えて詮索しませんが)。
 今日はアーンミーヤの日。以前よりは大分マシになってきた感触がありますが、まだまだ非常におぼつかないです。
 アーンミーヤは本当に「ハイブリッド」で、先生に言わせれば「لغة言語じゃない」ということになりますが、そういうのが普通に言うところの「言語」でしょう。この混ざりっぷりがいかにもエジプト的で、馴染むに連れて段々憎めない言語になってきました。
 そういえば、エジプト方言で未来を表す接頭辞は、日本の教科書(ってほとんど見たことないですが)ではحのことが多いのですが、今先生と使っている教材ではهで表されています。聞いているとどっちの場合もあるので、「どういう違いがあるの」と聞いたところ「何にもない」との答え。
 地域的・階級的な小さな違いでもないのかと尋ねると「本当に何にもない。わたし個人はهのことが多いが、それはحは喉を使って疲れるからというだけだ」と、身も蓋もないお返事でした。
 授業中、昼夜の温度差が一瞬話題になったのですが、「カイロは温度差が激しい」と言うと、先生は「そんなことはないだろう。ルクソールやアスワンはすごい温度差だが、カイロは穏やかだ」と言います。確かにルクソールよりは穏やかな気候ですが・・。
 温度差が小さいせいで寝苦しい東京が、カイロより「良い」気候かどうかというのは、もちろん別問題。
 昨日書いた社会的セイフティネット等について話題にすると、「失業率も、実はそんなに高くないはずだ」と先生が言います。「公式には、エジプトの失業率は非常に高い。しかし、政府が掌握していない雇用が大量にあるし、誰もバカ正直に登録などしない。実際上の失業率は、意外と低いのではないか」とのことです。
 そうは言っても、賃金は非常に安いし、経済的には良い状態とは言えないと思いますが。
 授業後、M氏に誘われていたので、またウストゥルバラド(新市街中心部)に戻る。
 といっても、エジプト人・カナダ人・アメリカ人に混じってマクハーでダベっているだけでした。カイロでグダグダしている外人とまともに喋ったことがなかったので、ノリがつかめたのは収穫でした。
 ただ、正直欧米人のあのチャラチャラした雰囲気は、あまり好きになれません。お酒を飲んでいるだけで、個人的には嬉しくないです(もちろん何も言いませんが)。
 一方で、カテゴリー的・分析的な思考をすること、長年刷り込まれた世俗的な感覚をある程度共有していることには、安心感もあります。
 帰りのメトロの中で宿題の問題を解いていたら、横に立っていたおっちゃんが、頼んでもいないのに答えを教えてくれました。勉強なので教えてもらっちゃダメですが、なんかホノボノして楽しかったです。すべてに介入するエジプト人!
 それにしても、ラマダーン入り以来、連日夜が遅くて昼夜逆転ぎみですが、エジプト人は深夜まで活動して、なおかつ朝から仕事したりしています(寝てる人もいるけど)。
 何度も書いていますが、あの底知れない体力はどこから来ているのでしょう。お腹の脂肪でしょうか(笑)。
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コクテールを作るジュース屋のおっちゃん posted by (C)ほじょこ

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