金銭的事情からグッと授業時間を減らしたこともあって、昼間はほとんど自室で翻訳と自習して過ごす。
授業時間自体は、今くらいでちょうど良いかと思っています。まったく話せないうちは集中的に授業を受けた方が良いでしょうが、アーンミーヤでも良いなら話し相手はその辺にいくらでもいますし(笑)、「授業として専門の教師に教わる時間」「一般人と話す時間」「自習する時間」をバランス良く持った方が精神衛生的にもよろしい気がします。最初の頃は、一日5、6時間一対一で勉強し、山ほど宿題が出て、受験生みたいな状態でちょっとやりすぎでした。
あまり引きこもっているのもどうかと思い、イフタール後に外出。ドッキのスーパーでなぜかハサミと乳液を買う。
ハサミは随分長いこと買おうとしながら買っていませんでした。近所のスーパーでは何と30ポンドで売られていて、こういう小物は結構お高いのです。日本でも100円均一であるようなものなので、「絶対5ポンド以上出さん!」とか妙な決意を固めていたため、無駄に時間を食いました。
エジプトの物価は全般に安いですが、何でもかんでも無条件に安いわけではなく、「工業系」は結構値が張ることが多いです。輸入物のスキンケア関連製品や電化製品などは、日本より高い気がします。試しに某ヘッドセットの値段を日本・エジプトの公式サイトで比べてみたら、日本の方が安かったです。
薬は全般に安いですが、サプリメント類は高いです。サプリメントというもの自体、一般的ではないようで、薬屋さんで「ビタミンの錠剤ある?」と聞いたら「君が飲むのか」と、「ビタミン剤などというのは病人や年寄りが飲むもの」とでも言いたげな反応でした(バカ高いので買いませんでした)。
タラアト・ハルブ付近のマクハーでお茶しながら勉強。
最近シガーラ(普通のタバコ)をやめてシーシャのみにしていたのですが、そのシーシャも今日はなんだか頭が痛くなったので、多少はニコチンが抜けてきてくれているのかもしれません。
「頭痛いしそろそろ帰るかなぁ」という頃になって、白人が話しかけてくる。
スルーしようとしていたら、「前にも会った、覚えていないか」とか言います。これもよく使われる手なので、テキトーに流していると、「うちのオフィスの前を通りかかった時に声をかけたじゃないか」と言います。確かにそうだったかもしれませんが、そんなことは一日中起こっているので、一々覚えていません。
結局しばらく一緒にお茶することに。このM氏はカナダ人ですが、レバノン人の血が入っているらしく、生まれはエジプト。名前もアラブ系ムスリムの名前です。どうも生後転々としてカナダに戻って、今もエジプトとカナダを行ったりきたりして暮らしている旅行業者のようです。見た目はくたびれたおっちゃん風。カナダ人と言っても、頭がちょっと薄くなった短足のおっちゃんなので、別にイケメンとかでは全然ありません(笑)。カナダの山奥で、ログハウスに住んで毎日釣りしてそうな感じの人です。
彼とは結局ほとんど英語で喋ってしまったのですが、彼は英語もアラビア語も「アル中なんじゃないのか」というくらいゆっくり喋るし、会話は非常に楽チンでした。「昼間は最悪だけど夜はすばらしい」「エジプト人にはプライバシーという考えがなくて鬱陶しい」「交通秩序は最悪」「やたら飲み物を甘くして耐え難い」「でもみんな親切」「年中怒鳴りあってるけど暴力は使わない」「街はすごい安全」等々、エジプトについての外国人の感覚を共有できて、なかなか楽しかったです。
「エジプトはとても安全」というのは本当にその通りで、「街で何か悪いことに出会ったら、必ず人が助ける。アメリカやカナダなら『俺には関係ない』で誰も相手にしない。こんな夜中に女性が一人で歩けるなんて、あり得ない」と彼は言います。
「誰も助けないけどなぜか安全な日本」もすごいですが、こと暴力・レイプなどについて言えば、日本より安全なんじゃないかと思います。窃盗も、欧米のようには多くないです(日本よりは多い)。詐欺は非常に多いですが、これは詐欺というより、「口八丁手八丁で丸め込むのは商売のうち」「お金を持っている者から沢山取るのは当然」という感覚があるからで、「どこから先が詐欺か」の考え方自体をシフトしなければここでは生きられません。値段が場所と相手により変わるのは当たり前で、ナメられる方が悪いです(とはいえ、東洋人はデフォルトでナメられているので、「あたしゃココに住んでて相場知ってんだよ! ナメんなタコ!」とか一々喧嘩しないとマトモな買い物をできないのは面倒臭くはある)。エジプトで一番危ないのは、交通事故と食中毒です(日本でも最大の危険は豚インフルなんかじゃなくて交通事故だと思う)。
もう一つ、これはまだこちらで一度も話題にしたことがなく、最近までわたし自身意識化できていなかったのですが、ポルノがないのが素晴らしいです。
実際にはあるところにはあるのでしょうし、webにつなげれば何でも手に入るわけですが、目につかないところでこっそりやっていてくれる分には何の害もありません。
女性の服装も慎み深いし、ポルノや準ポルノ的なグラビア等の記号的性が溢れている日本の街やメディアより、圧倒的にストレスが少ないです。
「君の英語は日本人としてはすごく上手だね」とM氏は言います。一応謙遜すると(実際下手なので)「日本人としては、というだけ。ほとんどの日本人は英語もあまり喋れないし、何でも怖がって全然経験しようとしない。あれは馬鹿だ。君は全然物怖じしないし、日本人らしくないね」と、何度も聞いた話を彼も主張します。
継続的な人付き合いは下手でも(マメさゼロなので)、確かに初対面の人間には強い方です。人生、瞬発力だけで生き延びてきたので、その点だけはエジプト適性があるのかもしれません。日本適性がない、という方が正しいですが。
一方で、日本人の多くが海外、特にエジプトのような混沌の極みのような国で、やたら警戒レベルを上げて箱の中に閉じこもってしまう心理も、理解できないわけではありません。M氏は「日本人は、日本の中では非常に速くキビキビ動く。でも一歩外に出ると、固まってしまって何もできない」と言いますが、確かにそういう傾向はあるでしょう(当然人によりますが)。日本という国が非常に均質で、まるで軍隊のように秩序立っていて、この秩序に沿って動いているうちは極めて合理的に物事が進むからで、逆にそこから外れた状況には弱い、ということかと思います。
もちろん、こうした機械のような秩序に至るには、先人の幾多の苦労があったはずです。ただ、今の日本人はそうした「枠組み」が、あたかも自然の一部のように予め存在する状態に慣れすぎてしまって、「枠組み」に沿った未来予測の出来ない状況に直面すると、パニクってしまうのかもしれません。
「我々は本来、ひとつのものから生まれた。それが世界に広がり、バラバラになってしまったが、これをもう一度ミックスし、一つにすることがわたしは好きだ。世界は大洋に浮かぶ島のようで、誰にでも島がある。良いものは招きいれ、悪いものは排除すればいい。自分の殻に閉じこもるのは愚か者のやることだ。何でも経験してみるものだ」とM氏は語ります。
「そんなこと言って、何か起こってからじゃ手遅れじゃないか!」というのは確かにその通りで、考えなしに何でもやってみれば良いというものでもありません。特に、ムスリム男性と婚外交渉を持つようなバカ女は、ナイルに沈んだら良いでしょう。一方で、「気をつけてばかりでは何もできない」も事実です。
未知の状況に直面した時に「石橋を叩いて渡る」態度を取るのは理解できますが、多分、エジプトではこれも通用しません。なぜなら、叩いたら大抵の石橋はその時点で崩れますから(笑)。
石橋があったらとりあえず渡ろうとしてみて、崩れそうになったらダッシュで走り抜けるとか、ジャンプして戻るとか、万事がそんな感じです。トロいと川に落ちますが、トロいヤツがババを引くのは当たり前です。
それに、川に落ちて流されたとしても、それはそれでエジプト人は必ず助けてくれますから、何度も落ちて学べば良いと思います。わたしは毎日流されてます。学ぶ前に死んだら、そういう運命だったと思って諦めます。
人間一度は死ぬんですし、「何か起こったら手遅れ」というなら、生まれちゃった時点で十分手遅れです。生まれたら絶対死ぬでしょう。もちろん、誰だって病気や怪我はしたくないし、気をつけはしますけれど、「気をつける」というのは、何もしないことじゃなくて、石橋からジャンプしたり走って飛びのいたりする運動神経を磨くことでしょう。
「手遅れ」を気にする割に、多くの日本人が神様も信じないし死後について考えないのは、個人的には奇妙に見えます。神様的に正しければ、万が一失敗して死んじゃっても、それはそれでいいじゃないですか。だめですか? だめですかね。
彼のような怪しい外人とかエジプト人とトークするにしても、当然100%信頼などしていません。100%の信頼とか安全なんてないわけですから、とりあえず話半分で聞きながら、ヤバくなったら逃げるとかはぐらかすとか、いくらでもやりようはあります。石橋があったら、とりあえず片足くらいは乗せてみた方が楽しいです(責任取りたくないので別に推奨はしません)。
物質的・制度的な幾多の問題点にも関わらず、この街はわたしにとって妙に安心感があって楽チンです。どう考えても日本の方が「安全」なのに、こちらの方が「安心」するのだろう、と考えると、「ルールから外れたら全部パー」のような日本的暗黙の緊張感がないから、という気がします。
もちろん、エジプトにはエジプトの「暗黙の掟」はたくさんあって、外人特権で無視できているだけでしょう。社会的プレッシャーは日本の比ではなく強いです。
でも、少なくとも日本のような正確性は全然要求されないし、失敗しても必ず再起の道があります。とにかく、失敗したり間違えた人に対する優しさが、日本とはまったく比較になりません。失敗を恐れて挑戦しないことはすごくバカにしますが、挑戦してダメだった時に嘲笑するエジプト人はいないと思います。
国全体としては貧しいですが、社会的セイフティネットという意味では、先進国よりずっと「整備」されている気がします。
最近考えている今後の予定として、とりあえず年末くらいに一旦は帰国しますが、日本で片付けることを片付けて、しばらく稼いだら、またこちらに来て、今度は数年住んでみたいと思っています。
問題はこちらでのシノギですが、エジプトの企業で働くのは割が悪そうすぎてやってられないなぁ、とずっと思っていました。日本人を相手にすると、仕事のチャンネルが限られますし、観光関係は今ひとつ食指が動きません(お金なかったらなんでもしますが)。
でもM氏と話していて、「日本でもエジプトでもなく、欧米系の企業とか人間と商売すればいいんじゃないか」ということに、今頃気づきました。プログラマーの仕事もありそうだし、器用貧乏なので、まぁ職種については何とでもできるでしょう。
ちなみに、IT技術者は、エジプト人でも2000ドルとか3000ドルとか稼ぐ人がいるらしいので(こちらではすごい高給)、需要はあるようです。デベロッパーよりネットワークエンジニアとかの方が圧倒的に重宝されるでしょうし、エジプト人とチームで仕事をするのは極力避けたいですが(笑)、うまく立ち回ればそれなりに稼げる気もします。
そういえば、この日昼間にaspxで構築されたエジプトのサイトを弄っていたら、落ちてスタックトレースを全部見せてくれていました。前にタイでも同じ状況に出会ったことがあり「タイ人すげー」と思っていたのですが、エジプトもこの辺は相当緩くて、「中の人」はかなり手抜きでも生きられるもののようです。日本だったらクビが飛びそうです。
その分、コミュニケーションコストが異様に高いのは、容易に想像がつきます。以前、ネットで同業希望のエジプト人の学生さんとやり取りしたことがあり、彼がバイトで改修しているシステムのスパゲッティぶりを愚痴っているのを「それを何とかするのがウチらの商売やん」と微笑ましく眺めていたのですが、このエジプト人たちの書いたソースコードと格闘するのは、日本のスパゲッティの比ではないだろうと思います。絶対欧米系と仕事したいです。
日本の志高いギーク様と異なり、わたしはこと開発に関しては夢も希望も持っていないので、シリコンバレーに上るよりカイロに下って、ドブさらいしながら、勉強したりシーシャ吸ったりして暮らしたいです。

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石橋は走って渡れ
エジプト留学日記