鍋でお米を炊く、エジプトのスーパーの品揃え、人は物語

 「鍋でお米を炊くのは簡単」と聞いて、やってみました。
鍋でお米を炊く
 確かに簡単で、炊飯器よりずっと早いです。パーフェクトな炊き加減を目指すならそれなりに技巧が要るでしょうが、とりあえず食べられたらいいよ、という低い志なら、あっけない程楽チンです。お米を研いで適当な水加減にして火にかける。終わり。十五分くらいでした。
 缶詰の豆やマッシュルームを買ってきて、炊き込みご飯やら色々試しています。見栄え的に他人様には出せるものではありませんが、自分のエサ用ならお釣りが来ます。
 こんな簡単だと、電気炊飯器というものが日本でここまで普及しきっているのが不思議に思えてきます。わたしの東京の部屋にある炊飯器は、これ以下はないという安物がさらにボロボロになっていて、炊飯器を買おうか買うまいか悩みつつ三年くらい放置しているのですが、鍋で全然オッケーだとわかりました。炊飯器、要らない。
 エジプトのスーパーは日本に負けないくらい色々な米があるし、マカロナや豆の種類はグッと豊富。チーズや乳製品も充実しているし、果物も多いです。
 それに対し、スーパーで最も重要に思える野菜のコーナーが妙に貧相です。鮮度が悪いのはさて置くとして、品揃えも今ひとつで種類も少ないです。エジプト名物モロヘイヤやオクラも、近所のスーパーでは冷凍食品しか置いていないです。
 メインの野菜はトマトとキュウリ。この二つはとにかく安いです。ピーマン、パプリカ、青唐辛子(この三つって同じ植物?)、玉ねぎ、ナス(丸茄子)などはよくありますが、物価全般に対しそんなに安くもないです。
 キノコ類は、マッシュルーム以外見たことがありません。
 全般的に、乾物系に強く、生鮮食料品は果物以外弱い印象です。
 昼間は自室で翻訳・自習して、いつものマクハーで先生を待っていたところ、初めて連絡なしに現れませんでした。電話をかけても応答なし。昨日もお父様の容態悪化でキャンセルされたので、何かあったのかもしれません。付き合いも長いし、連絡なく遅刻・キャンセルされたことは一度もないので(別の先生が携帯のチャージが切れて連絡なく三十分遅刻したことが一度だけあった)、余程の事態です。気になります。
 仕方なくシーシャを吹かしつつまた自習する。
 最近、シガーラ(普通の紙巻タバコ)は頑張って止めて、専らシーシャだけを吸っています。シーシャも身体に良くはないでしょうが、吸える場所が限られているので、多少は減煙になるかなぁ、と都合良く解釈しています。
 このマクハーは可愛いし素晴らしく居心地が良いのだけれど、割高だし、店員さんとも他のお客さんともお話するキッカケが全然ありません。これはエジプトではむしろプラスにとって良い要素とも言えますが、ちょっと寂しくもあります。
 気まぐれで久しぶりにDさんに電話して、ウストゥルバラド(新市街中心部)まで出かける。
 Dさんの買い物に付き合い、お洒落めのカフェテリアでガワーファ(グァヴァ)のジュースを飲む。今日は大事なサッカーの試合があるらしく、店員さんもテレビに釘付けでなかなか来ないし、Dさんも画面に吸い込まれています。
 頑張ってアーンミーヤだけで会話しようとするものの、やっぱり聞き取れないことがよくあり、結局フスハーに言い換えてもらってしまいます。悲しいです。
 彼と会うのは三週間ぶりくらいの気がしますが、前の時よりはアーンミーヤもフスハーも確実に上達はしています。でも、やっぱりアーンミーヤの高速トークにはさっぱり着いていけない。
 彼はドイツ人を主な顧客にしているガイドなのですが、メトロのオペラ駅に向かって歩きながら「どうしてドイツ語を勉強し始めたの?」と聞いたところ「それはقصة物語だ」と、ナイルの河畔で素敵なお話をしてくれました。
 八年ほど前、彼はホテルで働いていました。そのホテルはドイツ人のお客さんが多く利用するところで、彼も簡単なドイツ語をいくらか覚えたそうです。
 ある日、足が不自由で車椅子に乗ったドイツ人のお客さんが、ホテルを訪れました。ダウンタウンに用件があると聞いた彼は、この車椅子のドイツ人を助けて、市街地まで行ったそうです。
 ドイツ人は、彼に大変感謝して、謝礼を支払おうとしたのですが、彼は受け取りませんでした。
 帰国の前日、車椅子の男はDさんにテニスボールを入れるような箱を渡し「わたしが帰国したら、これを開けるように」と託したそうです。そして言われた通り、彼がドイツに帰ってから箱を開けてみたところ、中には大金とこんな手紙が入っていたそうです。
 「このお金でドイツ語を勉強しなさい。そして、同じように勉学のための助けを必要としている人に出会ったら、今度はその人を助けなさい」。
 Dさんはすっかり胸を打たれ、言われた通りドイツ語を学びガイドとなり、これまで二人(サハラ以南のアフリカ出身)の学生を助けたと言います。
 これは本当に、قصةです。
 カイロという街自体が、余りにも余りにも深く多様な物語の堆積した街ですが、これまで何人か、こんな味わい深い個人史を語る人物に会いました。彼らは「男」としては(たまたま全員男性)、まぁナンパ男ではあるのですが(笑)、こういう物語を聞くと、おちゃらけているようですごい過去を背負っているのだなぁ、と感心させられます。
 物語というなら、わたしも物語です。
 到底ここには書けませんが、我ながら頭がおかしいとしか思えない波乱万丈の人生を送ってきました。
 以前会ったエジプト人の台詞を真似て「わたしが物語だأنا قصة」と呟いたところ、Dさんも「それは美しい表現だ」と言ってくれました。
 人間は誰でも物語だし、物語でなければ、そして自らの物語を楽しめなければ、生きている意味がないと思う。
可愛いマクハーの天井
可愛いマクハーの天井 posted by (C)ほじょこ

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