朝食後、またSさんとの待ち合わせでタラアト・ハルブへ。
シャッカ(フラット)を探す手伝いをしてもらう予定だったけれど、Sさんの体調が悪く、カフェで一時間半ほどシーシャを吹かしながらお喋りだけしました。
Sさんは、多くのエジプト人と違い(失礼)静かな声で淡々と話す人で、あんまりお喋りではありません。冗談も言いますが、歳の割りに落ち着いた雰囲気の人です。顔つきや目の色からして、ご先祖様は北よりの人のように思います。
まだ会うのは三回目なのですが、100%とは言えないものの、かなり信用できる人だと感じています。ぶっちゃけ、この時は少し口説かれる雰囲気になったのですが(日本にダーリンがいることはちゃんと知っている)、外人を「軽い」と思って身体目当てで来るタイプの人と違うことは、この短い滞在期間で身に着けた付け焼刃の直観力でもわかるし、結婚して日本へのVISAをゲットしよう、というのでもありません。一生エジプトに住みたいと思っていて、結婚するまで絶対に性交渉など持ちたくないし、一方で結婚までに一定期間お付き合いして相手の人間性を見極める必要性も普通に認識しています(会ってその日に外国人と結婚するようなエジプト人もいる)。
ほんとに良い人なので、わたしなどに時間を取られたらもったいないと思い、色々はぐらかしたものの、あんまり態度が変わりません。これがしつこいナンパ系だったら簡単に切れるのですが、友達になりたい人なので、対応が難しいです。
そんなこんなで、あまり人には言いたくないし、知人でも限られた人にしか話していないわたしの問題について、ほんの断片だけれど話したところ、それすらも受け入れる、と言ってくれます。これには正直、胸を打たれました。エジプトで家庭生活を営むには致命的な欠点なのですが、本気だとしたら、それこそもったいないことです。
ダーリンを愛する気持ちは変わらないけれど、一生友達でいたい人だなぁ、と思いました。あぁ、ほんともったいのうございます。すいません。
「君は働いて、今こうして勉強していて、自分のことをずっとやってきたわけだけれど、もう落ち着く場所を探さないとだめだ。いつまでも若くはない。ふさわしい人をみつけて、そして一度手にした愛は絶対に離さないようにしなくちゃいけない」。
あぁ、それも重々承知しております。仰る通りです。というか、もう若くないし手遅れっぽいです。
こういうことをブログに書いてしまうところに、diplomaticな意志も能力もわたしにないことが表れている気がします・・。
宿に戻る途中、ドッキでマクタバ・アカデミーヤという書店に寄る。
タラアト・ハルブのマクタバ・シュルークと同じく、冷房の効いた清潔な本屋さんですが、コンピュータ関係の実用書や語学本などが充実しています。一方、お目当ての子供向けの本はそんなにないのですが、小冊子でいくつか可愛いのを見つけて購入。
ドッキから宿方面に歩く途中、知っている道のはずなのに何故か間違え、炎天下を遠回りして帰ることに。
宿のそばのターンメイヤ屋さんで、お昼ごはん用にミックスサンドイッチを購入。
ターンメイヤはコロッケみたいなもので、これと野菜炒めみたいなものなんかを、袋状になったピタパンに入れて食べます。中に入れる具は、おっちゃんに言えばお好みでトッピングできますし、ピタパンに入れないで食べてもOK。
ここのおっちゃんが愛嬌のある人で、苦手だったターンメイヤも好きになりました。
サンドイッチにして一個約15円。二個も食べるとお腹いっぱいになるのだから、激安です。
こういう屋台系の食べ物やコシャリがめちゃくちゃ安い一方、ケンタッキーの一番安いセットが300円くらいして、ちょっと洒落たレストランに行けば1000円2000円くらいすぐ使えてしまうのだから、ものすごい価格差です。
また、スーパーで売っている「工場で作った系」の食べ物も、相対的には割高です。
帰宅途中で、サンガードを買ったのですが、日本で買うのとあまり変わりない値段でした。薬を買った時はすごく安かったのに、医薬品は助成金でも出ているのでしょうか。
「ドラッグストアもの」は、おしなべて高いです。シャンプーとかボディソープも、日本と大差ないです。歯ブラシなんか、日本の100均より高いくらいです。
部屋で宿題をやるものの、ベッドに転がりながらやっていたら、うっかり途中で寝てしまう。
長丁場の授業開始。今日はアーンミーヤの日。
最初は調子が良かったのですが、ふとしたきっかけで強烈な不安と悲しみ、怒りが湧き起こってきて、何も喋れなくなってしまう。立ったり座ったりして何とか復活しようとするものの、全然ダメ。先生も当惑しています。「日本に帰る」とか呟いたり、日本語で喋ってしまったりします。
これはほとんど持病、というか普通にパニック障害のようなものを抱えているので、薬を少しだけ飲んで、ぽつぽつと語り始めました。
何度か説明して伝えようとしながら、うまく表現できず、諦めていたことを、拙い語彙でゆっくり時間をかけて話します。一ヶ月の間に、澱のように溜まっていた複雑な思いを、少しずつ言葉にしていく。
この時わたしが話した感覚は、仕事でも観光でもなく、素朴な愛で異国にやってきた人間が時々抱くものなのかもしれません。ここに書くのは憚られるようなナイーヴな思いですが、自分で話しながら「あぁ、わたしは本当にアラブもエジプトも好きで、そしてエジプトで辛いことも色々あったけど、でも大好きで、その間でよくわからない気持ちになっていたんだ」ということが自覚できてきました。
最後の方は半泣きでしたが、ふと見ると先生がティッシュで目尻を拭っています。静かな声で「すまなかった、わたしは全然理解していなかった、多くのエジプト人の代わりに謝りたい」と言ってくれます。先生には何一つ非はないし、別段そんなに酷い目に合ったわけでもなく、ただ色々なものの板ばさみになってしんどかっただけなのですが、そんなわたしに共感してくれて、わかってくれる人がこの世に一人いるだけで、本当に幸せなことだと思いました。
このわたしの性癖については、ダーリンがイヤというほど知っていますが、ギリギリまでわけがわからなくなって、少し薬の力を借りて吐き出すものを全部吐いてしまうと、本当に身体が軽くなって、憑き物が落ちたようになります。普通に古典的なヒステリーなのかもしれません。あぁ、こんなキチガイにつき合わせてしまってごめんなさい。
お陰でその後は元気になり、調子よく授業も進みました。
具体的なことはあまり書けませんが、何か悪い出来事があって嫌な思いをする、というのは、そんなに問題ではありません。別に悪くはないし、彼らの習慣だと頭ではわかっていることで、でも生理的に受け付けないようなものが、一番厄介です。それが悪ではないと知っていて、彼らのことが好きだからこそ、悪くは言いたくないし、言えない。でも、どこにも吐き出さないでいると、静かに澱のようにたまっていき、心身が歪んでくる。そんな感じです。
仕事や観光で来ているなら一時の思いとスルーもできるでしょうし、もうちょっと勉学の目的が具体的なら、楽だったのかもしれませんが、わたしの動機がちょっと頭がおかしいくらい原始的な好奇心と愛、特に神様への愛から来ているので、一層ややこしくなっていたのかもしれません。
授業後、そのままマタァムに残って勉強を続ける。お客さんのいなくなったマタァムは、静かで集中できます。
授業中に迷惑かけた分、沢山自習してせめて意欲くらいは見せたいです。
勉強しながら、ふとエジプトに永住することになったらどうしよう、という考えが頭をよぎる。実際、適応が進むに連れて、ここがどんどん住み易くなって、条件さえ許すなら(主にダーリンと仕事)、別にカイロにずっと住んでもいいなぁ、という気にすらなっています。
カイロと東京は、同じ大都会でも正反対なくらい質が違うし、気候から人の気質から食べ物に至るまで、不慣れなことでいっぱいです。エジプト人がみんな良い人なわけではない、というか露骨に悪いエジプト人もかなりいますが(笑)、良い悪いではなく、濃さとか距離のようなものが、「あぁ、そこに人がいる、生きてる」と感じさせるのです。
ムカつくこともすごくあるけど、「認められた」実感をこんなに抱いたことも、人生でない気がします。別に評価されたという意味ではなく、わたしが存在して、仲間なら細かいことはゴチャゴチャ言わない、愛も喧嘩もストレート、あり得ないくらいむき出しでぶつかってくる、そういうリアリティが「承認されている」感覚につながっているようです。
誰だって承認を求めているのですが、承認というのは、文字通り「アンタすごいね」と言ってもらうことで実感できるものではありません。ビジネスで成功して「社会的承認」を得ても、寂しい人は沢山います。
必要なのは、評価ではなく、単純に向き合うことです。向き合ったら、めんどくさいことも一杯あるけれど、その鬱陶しさを越え、変に考えないで愛も怒りも直球でぶつけあっているうちに、人間は居場所というものを実感できるようになるのだと思います。あと、挨拶大事!(笑)
話がズレましたが、もしも永住することになったら、もちろん仕事と家庭が第一ですが、小さなことでも、エジプトのために何か一つ成し遂げてから死にたいです。
そして、ものすごい素朴ですが、わたしが何か一つやるとしたら、カイロの交通事情の改善について、一ミリでもいいから貢献したい。「なんで交通事情やねん!」とツッコまれるかもしれませんが、そういう身近なところにこそリアリティを感じるし、身内を交通事故で亡くしていることもあって、あの無秩序の犠牲になった人たちが他人とは思えないのです。
地下鉄の整備とか信号を増やすとか、物理的インフラも重要ですが、まず法制度を整えなければならないし、何より、子供にも大人にも交通についての教育を与える必要があります。
このモザイクのような国では、法律についてもマナーについても、一朝一夕には変えられないでしょうが、百年かかっても成し遂げる意義があると思います。
今より少しでも交通事情がマシになれば、単にエジプト人が安心して歩けるだけでなく、事故や渋滞により発生するコストや医療費を抑制することもできます。
また、エジプトを訪れた外国人も、より良い印象を抱いて帰ってくれますし、リピート率も上がるかもしれません。国に帰って「カイロの道路事情は酷いと聞いていたけれど、最近はずいぶん良くなってきた」と周囲に語ってくれれば、これだけ素晴らしい文化遺産のあるエジプトですから、ますます沢山のお客さんが来てくれて、経済にも良い影響があるでしょう。
交通マナーの無茶苦茶ぶりは、エジプトだけでなくアラブ諸国全般に問題らしいですが、その中でもしも、多少の改善でもカイロが達成できたとすれば、他のアラブ人からの尊敬も買えるかもしれません。別にエジプト人が秩序の重要性を知らないわけではないし、預言者様も秩序を強調しています。失礼ながら、かつてのアラブの盟主としての勢いを失ってしまっているエジプトが、「やればできる」を示す良いチャンスになるかもしれません。
こんな大事業に対して、一外国人ができることなど多分何もないでしょう。「大きなお世話だ」と言われるでしょうし、ほんと差し出がましいことで恐縮です。でも、ほんのちょっとのお手伝いでも、役に立てたら幸せだろうなぁ、と妄想しています。
深夜1時を回ったくらいで、とりあえず勉強終了。
例によって水道が止まっていたので、洗顔してペットボトルに汲んでおいた水をかぶって就寝。
人はいつ承認されたと感じるのか
エジプト留学日記