エジプト人と内緒話、「インシャアッラー」は「空気読め」説、エジプトの焼き魚

 昨日超アクティヴに活動した上、明け方近くまで眠れなかったので、目覚めても身繕いして部屋から出る気になれず、部屋でゴロゴロしながら宿題をやって、昼過ぎにやっと外出(といってもホテル内のマタァム)。
 ホテル暮らしだと、女の場合朝食一つ食べるのにも身繕いが必要で、面倒臭いです。自炊もできないしお金もかかるし、ちょっと無理してもフラットを見つければ良かったです(これから移動するかも)。
 ただ、安全性という意味ではホテルはとても良いですし、エジプトでは女の一人暮らしというのは「あり得ない」ことなので、一人暮らしと知られただけで、色々厄介を招き入れそうなことが容易に想像できます(ただでさえ外人の女は「イージー」だと思われて付きまとわれる)。
 宿題をしていると鬱々とした気分になり、加えて今日は試験の日だったので、紙と睨めっこしてどんどん憂鬱になってくる。先生に話しかけられても答える元気もないほどで、口頭諮問の時だけはテストなので頑張りましたが、本当に元気がなかったです。
 M先生は信頼できる人だし尊敬していますが、色々あってどうしても心に黒いものが入り込んで来てしまいます。
 そして今頃気づきましたが、わたしは勉強好きではないようです(笑)。
 「趣味は勉強です」というくらい、アラビア語に限らず学習好きで、周囲にもそういう変人として通っているキャラなのですが、今日テストを受けていて、突然大学受験の頃のことが思い出されて「あの頃は本当に勉強が辛かった・・」と、悪いものが蘇ってしまいました。まぁ普通に考えて、勉強しているよりお喋りしている方が楽しいですよね。
 気がついたら、少なくともエジプトに来て以来、フスハーでもアーンミーヤでも英語でも、お喋りしているのは楽しいのですが、本に向かっているのが辛くなっている気がします。日本ではあれほど本ばかり読んでいたのに・・。一日中勉強ばかりしているので、当然といえば当然ですが。
 そんな元気のないわたしを見かねてか、授業の後、先生に秘密の相談をされました。
 こういう「個人的な悩み」を彼から聞くのは初めてではないのですが、今日聞いてしまったのは結構シビアな内容で、正直「そんな重い話してくれないでよ」と思いました。
 でも、そんな秘密を話してくれているのは友達の証拠だし、内容的に、奥様も含めて他の誰にも相談できそうもないです。ずっと喋る気がしなかったのに、話を聞いてからは、逆にちょっと心が安らぎました。
 どこかで「女の子を口説きたかったら、二人だけの秘密を作れ」というknackを目にしましたが、本当に有効な気がします(笑)。彼はそんな気は絶対ありませんが(異様に純朴でまっすぐな人)、秘密の共有は親密度を確実に上げます。
 段々と学習してきましたが、こういう「内緒」や「オモテウラ」は、エジプトでは日本以上に重要な気がします。メンツを重んじ、アラブ諸国の中では開放的とは言え、古典的な倫理観がまだかなり強いお国柄ですから、表立っては言えないことが沢山あります。
 特に男の人は、日本とは比較にならないくらい「カッコつけ」る必要があるので、その「タテマエ」のところをまともに受け止めすぎると、こっちが疲れるだけでなく、向こうにとってもプレッシャーになるように感じます。「そんなに真に受けてくれるなよ」と、皮一枚向こうで泣いているかもしれません(笑)。
 もちろん、エジプト人も正直さを称揚するのですが(正直を貶める文化なんてない)、「そうは言っても自分を大きく見せないと生き抜けないのよ、俺だってできもしないこと言いたかないよ」というのが本音なのではないでしょうか。そんな彼らが、偉そうな口をきいたり知ったかぶりをしても、「ハイハイ」と受け流して期待しないのがお互いのためですし、本当に大事なことは、時間をかけて友達になってから「内緒話」としてするべきです。
 こんなのは日本でも当たり前のことかもしれませんが、わたしが個人的に社交下手な上、言語に付いていくのに精一杯で、今まで気づいていませんでした。
 喜怒哀楽が激しくて皆が皆盛大に自己表現するエジプトですが、その実、「空気読め」圧力は日本以上なのかもしれません。
 「インシャアッラー」(もし神が望むなら)という表現は、アラブ人のいい加減さを象徴するかのように言われつつ、一方で「何でも人間の思い通りにはならない、という謙虚さを表しているのだ」とも擁護されます。この説明には個人的に共鳴するし、先生からは何度も「未来についてポジティヴな話をする時は、必ずこう留保するのが礼儀だ」と言われてきましたが、これら二つ(「いい加減さへの弁明」と「謙虚さの表現」)以外に、「大きい口を利かざるを得ないけど、その全部は到底実行できないから、できない分は神様のせいにして勘弁してもらう」という、バランサーとしての機能が重要なのではないかと思います。
 日本人から見たら「できない約束をするのは不誠実」と映るでしょうが、「できないことでもできるかのように言わざるを得ない」プレッシャーが強いなら、せめてできなかった時の言い訳くらい与えてあげなければ、社会全体のバランスが取れません。この辺の尺度が日本とも欧米とも違うのですから、木を見て森を見ず「インシャアッラーはアテにならない、アラブ人はいい加減」とだけ言っても始まりません。
 「インシャアッラー」は「空気読め」ということなのだ、と解釈すると、日本人はもうちょっと上手にアラブ人と付き合えるようになれるかもしれません(笑)。
 考えてみると、程度は違っても「できないことをできるかのように言わざるを得ない」のは日本の企業社会も一緒のことで、日本人こそ「インシャアッラー」の精神を学べば、自殺も少しは減るのではないでしょうか。できるのもできないのも、最後は神様の思し召し次第ですよ。
 内緒話と言えば、授業の後マタァムの男の子と話していた時も「内緒」ができて、急にウキウキしてきました。この「内緒」は、「ホテルの他のヤツには内緒」というだけなのですが、ちょっと楽しい予定が入ったので、ブログでもまだ内緒にしておきます(笑)。
 「今日は忙しくって疲れたよ。見てただろ?」とか内輪話をふってくれると、仲間に入れてもらえたようで、嬉しい気持ちになります。アーンミーヤの勉強にもなります。ちなみに、彼らがテンテコマイしていたケニアかどこかの団体さん(少なくともサハラ以南のアフリカ)は、JICAの招きでエジプトに来ているらしく、どういう関係なのか気になります。米の農業指導がどうとか話していましたが、詳しくは聞いていません。
 彼は大学生なのですが、マタァムの若手店員の中では一番イケメンで、しかも余計な口を利かないので、いかにもモテそうな人です。英語しか通じないお客さんとも積極的に会話して場を作れる人ですが、それでいて必要以上に相手に入り込んだり喋りすぎたりしないので、計算づくでやっているとしたら相当女たらしです(多分天然です)。
 一方で彼といつもツルんでいる男の子は、シャイでニコニコ笑っているだけで、丁度良いコンビになっています。このシャイな方の男の子は、マタァムの面々が皆わたしを面白がって話しかけてくる中で、単独で声をかけてきたことすら一度もありません。内気な感じが日本人の男の子に似ていて、「かわいいなぁ」と微笑ましく眺めています。
 ちなみに、何度か言及した信心深いムスタファーくんは、彼らよりは多分少し年上で、ちょっと変人ポジションっぽいです。
 最近すっかりルーチン化した店でبوري مشوي(ボリ・マシュウィー)という焼き魚を食べる。この店のメニュー消化がささやかな趣味になっているショボい日々ですが、お魚はなかなか美味でした。エジプトに来て初めて「味が薄い(丁度良い)」と感じました。
 日本人的に見ると、普通に焼き魚で、それをナイフとフォークで食べていると不思議な気持ちになります。大根おろしのあるべき位置を、フレンチフライとトマトが陣取っています。
 例によってこのお魚と白米だけ頼むと、もうすっかり顔なじみになった太っちょのおっちゃんが「またお前は魚と米か」という感じで、苦笑いしながら首をかしげていました。もう、開き直って「いつも米と魚ばっかり食べている変な東洋人の常連」キャラで通していきます。
 エジプト的には、毎晩一人でやってきて、籠のエェシュ(ピタパン)には手もつけず、魚と米と野菜だけ食べて帰っていく女は、相当意味不明な存在だと思います。
 そういえば、少し日本のことを知っているエジプト人に会うと、「お前ら魚を生で食べるって本当か? それやばくね?」みたいな話をされることがありますが、エジプト人の食べているような川のお魚は、日本人だって生では食べないでしょう。「生魚を食べる」と聞いて「えぇ!?」と言うのはエジプトに限ったことではありませんが、彼らのイメージする魚と、わたしたちの馴染みの魚では、種類も鮮度も全然違いますよね。
 宿へ帰る途中、すごい長身のエジプト人が英語でナンパしてくる。
 どうせすぐホテルだし、彼も生活エリア圏で変な真似はできないはずだから、アラビア語で返事してアーンミーヤの練習相手にする。
 エジプトで女一人は面倒が多いですが、少なくとも話し相手に困るということはないです。無料で練習相手をしてくれていると思えば、有難いかもしれません。いや、やっぱり有難くはないかな・・。
 こういうのに滞在地近くで関わった時には、ホテル暮らしの長所を実感します。ホテルのガードマンの視界に入る前に、必ず向こうから離れて行きます。これがフラットで一人暮らしだったら、実に面倒そうです。

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