孤児の日の子どもたち 僕は悲しみにあっても喜ぶことができる
毎年四月の第一金曜日、エジプト人は皆で「孤児の日」を祝う。これは2004年から公式に定められた祝日で、ここ数年の間に、エジプトの慈善事業と孤児育成の分野は著しい飛躍を見せた。この間に孤児の保護に関心を示す機関が増え、慈善活動に参加しようとするボランティがが増加し、子どもたちと活動家らとボランティアたちが何千ものエジプトの孤児たちの顔に笑顔を描こうとしている。彼らのうちいくらかは、代わりの家族の役割を選び、また別の者は贈り物を贈り、また孤児の日には孤児院にいる何千もの子供たちが、いつの日か彼らに微笑みかける世界に向かって、微笑えもうとしている。本紙はこの世界に入り、エジプトの孤児の顔に微笑みを描こうという試みの風景を取材した。
代理の母、代理の姉、答えなき問い 孤児とはつまり何か
九歳という年齢相応の無邪気な子どもらしい表情で、ハーリドは「リサーラ」孤児院での彼の日々の生活について、詳しく語った。孤児であることを気に留める様子もなく、孤児院の一つで暮らすようになるまで。
「シャイマーゥ姉さんのように薬剤師になるんだ」。ハーリドは誇らしげにそう言う。それが余りに誇り高そうなので、孤児院の監督者らがハーリドの部屋に「薬剤師ハーリド」と書かれた小さな看板を付け、彼の夢の実現を助けようとするばかりだ。
ハーリドの物語は、生まれたばかりの頃まで遡る。彼が孤児院に済むようになったのは「親族不明」だからで、両親のどちらも見つからなかった。しかし彼は、年齢のせいで自分が孤児だとか親がいないとかいった考えを抱くことがなく、孤児院をこの世に生を受けて以来の「家」として満足している。
「リサーラ」会は、孤児五人ごとに母親代わりの女性と共に暮らすアパートを用意している。この女性は、彼らを世話し養育し、必要なものは愛情をもって提供し、彼らには「ママ」と呼ばれている。だからハーリドは、母親代わりのこの女性こそ本当の親であると納得して満足していている。「リサーラ」会は、「お兄さん」活動も行っている。ハーリドには五人の兄弟がいて、うち三人が兄で二人が姉だ。このうち一人とも会わずに過ごす日は一日もない。彼らみんなが、決められた約束により彼を訪問している。
「僕の先生は、僕が世界一のサッカー選手になるって言ってるよ。アブー=タリーカみたいな。アブー=タリーカがめちゃくちゃ好きだし、いつか彼みたいな選手になるんだ」。そう言ってハーリドは、小さなボールで遊ぶ。彼は地域クラブの子供会員であると言い、背番号66番に夢中だ。
「リサーラ」会の「お兄さん」活動責任者ハナーゥ・アブドゥルラフマーンは、孤児であることから余り影響を受けていないハーリドの物語を語る。彼は勉強の面でも特別秀でた子だと言う。「ハーリドはどの学年でもいつも一番を取ります。サッカーでも抜きん出ていてます。彼はサッカーが大好きなんです」。
ハナーゥは、同会が孤児たちが入学する学校当局を、彼らがその社会的立場を明らかにできるよう、訪ねると言う。孤児たちが、彼らが孤児であることが先生やクラスメートの耳に入らないよう、必死になっているからだ。その原因を、彼女はこう述べる。「一度その子が孤児だとわかると、その子のことを気遣うようになり、間違いにも目を瞑るようになってしまうんです。彼のことをよく思うからなのだけれど、わたしたちは彼らを違った風に育てたいわけじゃありません。褒めるのも叱るのも、他の子と同じようでなくてはいけません」。
ハーリドは両親について多くを尋ねなかった。母親代わりと「お兄さん」活動の兄弟たちが、彼が自分が孤児であることをあまり考えないで済むようにしているからだ。しかし彼は、ありそうな質問ではなく、「僕のおばあちゃんはどこ?」「どうして僕にはおばさんがいないの?」といった質問をする。ハナーゥは、おばあちゃんの代わりができる年配のボランティアがいてくれるように務めている。
ハーリドの兄弟についての話は留まるところを知らず、しきりに自慢する。「兄弟が世界で一番自慢なんだ。もうめちゃくちゃ大好きだよ」
休み中、ハーリドは朝の九時に起き、こんな風に一日を始める。「起きて、それからウドゥー(訳注:礼拝前に身体を清めること)して礼拝して、それからアニメのユーユーを見て、それからお兄さんが来るのを待って、遊んでもらって、学校のある時なら勉強をみてもらうんだ」。最近、ハーリドは、こわごわこう尋ねるようになった。「なんで僕んちはめちゃくちゃ大きいの? なんで知らない人が沢山きて一緒にいるの?」。少しだまってから、こう続ける。「で、孤児って何?」。彼の兄弟代わりらが簡単に噛み砕こうとする。「孤児ってのは、お母さんとかお姉さんがいなくて、住む場所がない人のことだよ」。孤児院で、ハーリドはお母さん代わりと兄弟代わりに囲まれていて、孤児であることが彼の将来にとって障害にならないと、日に日にはっきりしてきている。
孤児のコラム記事ということで、悲惨な日々が描かれるのかと思ったら、えらくポジティヴな内容でした。
現実にはカイロの路上にはストリートチルドレンが沢山いて、孤児の中でも記事のような暮らしを送れているのは一部でしょうし、そもそも孤児でなくても悲惨な生活を送っている子供は沢山いるはずですが。
それでも、イスラーム圏全般に孤児に対する保護が比較的充実していることは想像に難くありません。アッラーの使徒ムハンマド様صが孤児で(片親しかいないことだが、アラビア語ではこれも孤児という)、啓示の中でも「孤児を大事にしろ」という内容が繰り返し語られているからです。
エジプトの行政上の福祉というのは、どうしようもないくらいレベルが低いでしょうが、一般市民の弱者に対する意識は日本とは比較にならないくらい高いです。日本がちょっと異常なのですが。
ちなみに「ユーユー」というアニメは、「幽遊白書」かもしれません。ちょっと自信がないのですが、幽遊白書が「يويو هاكشو」と音そのままの表記で紹介されていますので、それではないでしょうか。違ったらごめんなさい。
参考:
يوم اليتيم – ويكيبيديا، الموسوعة الحرة

