シャイフ・ル=アズハルがリヤードで逝去 アル=バキーアに埋葬される
本日朝、八十二歳になるシャイフ・ル=アズハルのムハンマド・サイード・タンターウィー師が、サウジアラビアのリヤードで心臓発作に襲われ亡くなった。
異大なる師はキング・ファイサル国際賞選考委員会に提出する研究と査読を十三時間連続して、疲れきっていた。
シャイフ・ル=アズハルは、リヤードからカイロに戻る飛行機のタラップで亡くなった。
在リヤード・エジプト大使マフムード・アウフによると、偉大なる故人の遺体はマディーナのアル=バキーアに埋葬された。この決定はエジプトの関係者とサウジアラビア、シャイフ・ル=アズハルの遺族との間で十分な協議の上に下されたもので、彼らはマディーナに遺体を埋葬することを決めた。
アル=アズハル代表ムハンマド・ワーシルは、本紙との会見で、明後日金曜日にウマル・マクラムモスクで葬儀を行うことを遺族と話しあったと述べた。モスクの前の通りには大きな天幕が建てられる予定だ。
アフマド・ナジーフを総理とする閣議は昨日の会議で偉大なる故人の逝去に触れ、清淨なる魂に一分間の黙祷を行い、力強く偉大なるアッラーがその深き慈愛で彼を覆い、その天国の無辺に彼を招かれるよう、ドゥアー(祈祷)を捧げた。
シャイフ・サイード・タンターウィー師は、エジプトのイスラームにおける最重要人物であり、アル=バキーアに埋葬されるのはシャイフ・ムハンマド・アル=ガザーリー師に続くものだ。故人の息子アフマド・タンターウィーは、故人には埋葬地について特に遺言はない、と述べ、遺族はアル=バキーア(への埋葬)はアッラーの選択であり、変わることのない運命だったと考えている、と語った。
故人の学問の旅は七十年以上にわたり、ソハーグのティマーのサリーム・ッ=シャルキーヤ村での初等教育でクルアーンを暗記したことに始まり、エジプトのムフティ(訳注:ファトワを出す人)を十年果たした後、本日の逝去までシャイフ・ル=アズハルを十四年勤めるに至った。
シャイフ・ル=アズハルが最後の決定は、二千万ギニーを学院とクルアーン局のクルアーン暗記コンテストに拠出することで、その監督を果たすことを個人的に熱望していた。
イスラーム研究学会事務局長シャイフ・カーシム・ムハンマド・カーシムは、偉大なるイマームが最後に扱った問題は、イスラーム諸学派に代え、アッラーの使徒――彼の上に祝福と平安あれ――の教友に忠実たることを据えるものだった。これはイスラーム研究学会第十四回大会で扱われた。
シャイフ・ル=アズハルには三十六の学問的著作があり、その最も有名なものはクルアーンと四つの学派のフィクフ(イスラーム法学)のタフスィール(注釈)である。また故人は毎週アル=アハラーム紙に記事を書いており、多くの読者に愛されていた。
突然の訃報に驚きました。師のご冥福をお祈り致します。
タンターウィー師については、以下のような関連記事で批判的なことを書いていました。
タンターウィ発言の問題は、ニカーブの是非でもイスラーム主義の是非でもない
ニカーブ女性との結婚 誰も顔を見ていない人と人生を共にできますか?
この記事はエジプトの政府系新聞からのもので、「政府より」として知られるタンターウィー師について、いつも読んでいる非政府系新聞がどう書いているのか気になったのですが、現時点ではまだ記事になっていません(同紙系列のテレビでは既に放送されているらしいのですが)。死人に鞭打つようなことは流石にないでしょうけれど。
帰りの飛行機で倒れたのにリヤードで埋葬されるのはどういうことだろう?と最初思ったのですが、乗り込むところで倒れたらしいです。
سرادقスラーディクはlarge tent,canopyの意で、初めて見ました。
参考:
البقيع – ويكيبيديا، الموسوعة الحرة

