「元」中毒者の挑戦
アムル「前は麻薬と欲望でやるべきこともやらず、あらゆる過ちを犯した。今はみんなが僕がちゃんとしようとしている、と敬意を払ってくれている」
麻薬を売っている「マフィア」がいるのはご存知だろう。しかし、麻薬治療のビジネスをしている「マフィア」がいるのを知っているだろうか。これがテーマだ。
中毒者治療で商売しているマフィアの代表は、この分野で仕事をしている、特殊な地域にあるいくつかの病院だ。彼らは、治療してくれる、という「幻覚」で患者を搾取している。毒を身体から追い出さないだけでなく、麻薬でボロボロになった身体の治療に、舞い戻ることになるのだ。
これらの人々の話を聞いてみよう。麻薬に惹かれ命を落としかけたハーニーには、長い中毒歴があった。「十九年間麻薬中毒だったんだ。でも麻薬にも、あれをやるようになった問題にもウンザリだった。人生に嫌気がさした。すごい量の粉があって、それを一気に注射したんだ。死ねばお終い、死ななかったら二度と元には戻らない。なぜって、疲れきっていて嫌気がさしていたからね」。
「身体中から水分が抜けて行くのがわかった。疲れきって苦しく、周りの人に助けを求め、病院に担ぎ込まれた。専門病院での長い中毒治療の旅が始まった。すごい高額だったのに、状態は良くならなかった。でもアルハムドリッラー、主が救いを与えて下さり、正しい道を示してくれる人たちに会えた。今、麻薬をやめて六年になるんだ。病院で、他の人達の治療を手伝っている」
ムハンマドは、中毒から立ち直った人の一人だ。彼は専門病院で治療を初めたが、その治療費は一ヶ月で28000ポンドに及んだ。退院後は、まるで入院していないように変わらなかった。親戚の一人が、イル=マタール・ル=アーッム精神医療・中毒治療病院へ連れて行くまでは。そこで治療は続けられ、今では、麻薬の辛い体験を越えた者として、他の人々の治療に加わっている。
立ち直った人の一人アリーに、他の人達の治療を手伝おうとするのは何故なのか尋ねたところ、彼はこう行った。「僕を麻薬から治療してくれたその場所へ行かなければ、また中毒になってしまうかもしれない」。「ウンザリしていた中毒から抜け出した後、皆がやってきて言うんだ、小綺麗にするのをやめまた麻薬をやろう、と。これは本当に危ないことだ、とわかったんだ」。病院にいる人々のほとんどは、進歩の度合いを治療がどれくらい好きかで測っており、病院と集団治療から長期間遠ざかることを決めると、麻薬への逆戻りの危険が分かる、という。
アルコール中毒と麻薬中毒から立ち直った人の一人スィーフは、以前は五つ星ホテルで働いていて、ホテルのバーで働かざるを得ず、その時から酒との関係が始まったと言う。しかし治療の後では、以前はそのジャンルで働くことで得られていた物質的メリットにも関わらず、そうした場所で働くのが嫌になった。
彼の友人、アムルは言う。「いつも礼拝していたし、義務を怠っていたわけじゃない。でも、想像し得る限り、あらゆる過ちを犯していた。間違いを犯していることを考えることもなかった。欲望と麻薬で心が動いていたから。でも、治療を始めてから、自分がその中で生きていた過ちすべてが嫌いになった。人々は僕を尊重してくれ、ちゃんとしようとしている、と敬意を払ってくれた。自分が間違っていたことは分かっているし、これは自分にとっても主にとっても、大きな過ちだ。でも今は、治療を始めてから、すべての間違ったことから遠ざかるようにしている」。
治療に絶望してしまうことは、その失敗の最大の原因だ。ムスタファーが言うように、多くの中毒者が逆戻りしてしまうが、だからと言って治療が継続できなくなるわけではない。二十回逆戻りして、それでも治療に来る者たちがいる。彼の強調するところでは、中毒は慢性的な病であり、永続的な治癒というものはない。中毒者は常に麻薬への逆戻りに晒されている。これは単に失敗したため、というのではなく、回復の全過程においてそうなのだ。
ムスタファーはこう付け加える。「五年とか六年麻薬をやめていて、驕りを抱き、中毒に打ち勝ってきた期間を誇る人が沢山いるが、ある日麻薬に逆戻りしてしまい、前より酷くなる、ということがあるのだ」。
ハーニーは言う。「立ち直った者は、自慢するのではなく、物事を治療の期間で考えよう。つまり、僕は十九年間中毒者で、六年間はやめている。中毒の期間と治療後の期間を比べなきゃいけない。回復後の期間の方が長くなった時はじめて、本来の人間に戻ることができた、と言うことができるんだ」。
中毒治療の基礎にあるのは、個々人の行動様式を変える、という考えであり、生活スタイルを完全に作り替え、多くの間違った態度を獲得してしまった人間から、振る舞いの好ましい人間へと転換することである。これは、患者の人間性を新たに作り直すのに近く、単に中毒の原因になるような外的要因を取り除く、ということではない。
「○○だったらよかったのに」。患者たちにこのフレーズを補完するよう問うと、大抵は間をおかず、こんな風に言う。「中毒にならなければよかったのに。ちょっと試してみたりしなければ。父や母の言葉を聞いていればよかったのに。麻薬に引きずり込んだ悪い友達と知り合わなければ」。
中毒者が治療中に直面する最大の問題は、家族が治療とどう関わるか、ということだ。中毒と治療法の間違ったイメージを流布させている、という点でメディアにも責任がある。ムスタファーは語る。「家族は分かっていないんだ、中毒治療は単に毒を身体から追い出すことじゃないってことを。治療は、麻薬摂取への逆戻りから守ることであって、そこに戻る要因というのは、いつも患者の目の前にあるんだ」。
ワーイルは強調する。「エジプトにおける中毒治療は、インターネットが最初に入ってきてみんながネットに入った時のようだ。。治療の基本にあるのは家族だ。なぜなら、彼らは、必要な二つのものを与えられるからだ。保護と、治療を継続するよう励ますことだ。麻薬へ逆戻りしないよう保護すること。注意を要するかもしれない変なことがあれば、それが何であれ、彼らが一番最初に気付くに違いないのだ」。
サーミーには、回復にあたって問題があった。両親が、息子が麻薬中毒者であることを認めるのに困惑を示していたのだ。彼は言う。「家族は、治療の助けとなる環境を整えてくれたけれど、治療の見返りにお金を与えたり、自動車を買ってやるとか約束したのは、大きな間違いだった。これは大間違いだ、なぜなら、まず自分自身のために治療するよう、励まさなくちゃいけないからだ。何か他のものとかのためじゃなくて。もう一つの間違いは、自分たちに中毒者の息子がいる、ということを認めなかったことだ。中毒は恥や不名誉じゃない。隠したり、子供を治療に連れていかなかったり、溺れるままにしておくのは間違いだ」。
ムニールは言う。「思春期に母が多忙だったことが、中毒者になってしまった主な原因だ。誰も話を聞いてくれる人がいなくて、どこから来てどこに行くのか言ってくれる人がいなかった。お金で何をするのかも。確かにママは役所の次官で忙しかったよ。だけど、兄さんたちも働いていて高い地位にあって、僕は麻薬に落ちてしまったんだ」。
アイマンにも似た体験がある。彼は言う。「パパとママはUAEに行っていた。大学に行くためにエジプトに住んでいた。兄と一緒に住んでいたけれど、お互い自分のことだけだった。お金は米みたいにあって、何でも手に入った。パパとママが、このお金のために苦労しているなんて、その時は考えていなかった。麻薬に手を出して、お金を失い、それでお終いになった」。
サアドは、メディアの中毒者の扱いを批判し、こう語る。「涙を誘う悲劇なんて聞きたくないし、困難や何やにぶつかる中毒者たちを楽しみたくもない。知りたいのは、どこで治療し、治療の後いかに人生を見つけるか、だ。それから、みんなに気をつけてもらいたい。麻薬マフィアのように、治療マフィアがいるからだ。最初に治療のための専門病院に入った時、医者は僕にこう言ったんだ。『いくら持ってる?』」。
エジプトでは病院すら「まず交渉」で、お金を払わないと診察もしてくれないくらいですから、ボッタクリ病院があるのは容易に想像がつくことで、まして「中毒治療」となれば、ひた隠しにしたい親や親族の見栄を利用し、高いお金を取って「監禁」しておくだけの施設があっても不思議ではありません。
記事中に出てくる何人かの若者は、一般的なエジプトイメージと異なり随分ボンボンのようですが、エジプトのお金持ちは日本のお金持ちの比ではないので、こういう人がいてもおかしくありません。更に息子の甘やかし方も日本よりずっと酷いので(母ー息子関係が非常に強い)、小金持ちが息子にお金だけ与える、麻薬に溺れても受け止められずにお金で解決しようとする、というのは、あり得る話です。
でも、そういう現状に対して、「これじゃダメだ」と元中毒者自身が語っているのは心強いです。
「回復後の期間の方が長くなった時はじめて、本来の人間に戻ることができた、と言うことができるんだ」という台詞にはシビれます。
文化的には、ハシーシュに関してはお酒よりずっとタブー度が低く、昔の田舎などではお酒は論外でもハシーシュは割と簡単に愛用されていたらしいです。現在でも入手自体は難しくありません(もちろん違法)。ハシーシュ以外のドラッグについては、お酒以上にタブー視されているでしょう。
アーンミーヤの多い記事で、勉強不足を痛感。もっと頑張ります。

