辛さは顔に出せ

 金曜日。
 ブログのタイトルを変える。
 もうすぐ帰国しますが、翻訳を中心に細々ブログは続けます。うまくすれば戻ってくることができるでしょう、インシャアッラー。
 勉強したり部屋を片付けたりしていたら、Nちゃんから電話がかかってきて、また遊びに行くことになる。
 彼女の家への道もいい加減慣れて、かつ金曜日のお陰で割と往来も少なかったので、気楽に歩いていきました。
 例のクルアーン・エレベータ。

 今までは遊びに行っても割とちゃんとした格好で待ち構えていた彼女ですが、今日は部屋まで一人で行ったせいか、お部屋モードでリラックスしていました。この方がこっちも落ち着きます。
 大学のテスト勉強で、アラビア語の新聞を日本語に訳さなければならないのに、それがとても難しい、と言われ、手伝うことになりました。
 確かに難しい・・。
 彼女がアラビア語から日本語へ訳すのに困難を感じるのは当然ですが、日本人のわたしが、日本語への翻訳を試みても、なお厄介です。普通の新聞記事なのですが、医療関係のニュースなので、専門的な単語が登場します。日本人がざっと日本語訳するだけなら難しくないですが、彼女の勉強のためなのであんまり意訳するわけにもいかず、苦労しました。「内視鏡手術」とか「血栓溶解剤」とか、日本語学習者に思いつける単語じゃないでしょう。日本人だって知らない人がいますよ。
 イロコイっぽい話になり、「エジプト人と結婚できるか」と定番の質問をされたので、逆に「日本人と結婚できる?」と、気になるところを尋ねます。
 日本人以前に「外国人」一般ということでは、まず、ムスリムであることが最初の条件になります。でも、ムスリムの外国人というのは、他のアラブ諸国の人々だけでなく、インドネシア人やマレーシア人がカイロには沢山いますし、実際結婚の例もあるそうです。
 逆に欧米や東アジアとなると、定住者の数が限られる上、ムスリムの数が少ないので、そもそもチャンスがあまりないようです。男性なら、ただの観光客の女性をひっかけることもできますが、逆はかなり難しいですし、定住者だけが相手となると、確かに数の時点で困難になるのかもしれません。
 で、日本人ですが、彼女はもちろん日本人は歓迎。ただしムスリムでないといけません。
 もちろん、日本人なら誰でも良いわけではなく、以前知り合った日本人男性が「綺麗な人が好きで、ヒジャーブを被ったエジプト人は美しくないからイヤだ」と発言したと聞いて、眩暈がするほど怒りを覚えました。
 「それは観光客で、イスラームやアラブを知らないからでしょう?」「いや、アラビア語を学びに留学している人だったよ」。
 言葉の壁のせいで誤解が生じたと信じたいですが、仮にもアラビア語を学びエジプトで暮らしている日本人が、そんな失礼な口をきいたとは考えたくないです。綺麗な人が好きなのは、男性ならみんなそうでしょうが、女性に対しそれを敢えて口にするのは無礼ですし、ヒジャーブに結びつけるのもどうかしています。爆弾テロにでも巻き込まれて死んで頂きたい。
 「もし日本人と結婚する、と言ったら、家族はどう言うと思う?」と尋ねたら、「別に問題ない(もちろんムスリムである、という前提)。でも、日本に暮らすのは寂しがって反対されると思う」。
 彼女は中流以上の家庭の子ですし、雰囲気的にもリベラルな家なので、外国人との結婚そのものには反対されないようです。また、彼女の日本好きは家族もよく理解していて、お母さんからも「コンニチハ」とか日本語で挨拶されました(その後はエジプト式に例のチュッチュになるので、ちょっと面白い)。
 例によって少しイスラームの話題になり、またサウジの悪口を言い合う(笑)。「彼らにとって、イスラームの総本山であるのは商売だから、丁度会社員が着たくもない制服を着るみたいに、ニカーブをしたりしているんだ。あいつらは形だけだ」「エジプト人の方が余程ムタダイイニーン(敬虔)だよ」。
 「欧米や日本のムスリムは、困難な状況で敢えてイスラームを信じているのだから、特別敬虔だ。仮に義務をなかなか果たせていなかったとしても、彼らの方が偉い」という話で、彼女が「テストの点数が同じでも、難しいテストを受けた人と簡単なテストを受けた人では、点数の意味が違う。難しいテストで点数が低い人の方が、易しいテストで点の高い人より偉い」と上手いたとえを言います。
 このすぐ後で、彼女がスリムだ、という話になったのですが、わたしがもじって「エジプトで痩せている人は、日本で痩せている人より偉いね。難しいテストに受かったわけだから」と言って、大笑いしました。
 彼女曰く「エジプト人は、一度にまとめて食べて、後は一日食べないで活動している。わたしは何度も食べるけれど、ちょっとずつしか食べない。だから太らないんじゃないか」。実際、彼女とは何度も食事していますが、本当に小食です。というか、一緒に食べていると、喋る方に気が回って食べてる暇がないようですが・・・。
 「日本に関するものは何でも好き」という彼女ですが、一つだけ気に入らないのは「自分を表現しない、他人を助けない」ことだと言います。
 「表現しない」というのは、話下手というだけでなく、話す調子も単調で、表情も動きも少ない、ということです。日本人が概ねそういうタイプだということは彼女もわかっているのですが、エジプト的には、黙ってむっつりしているのは「怒っている」「悲しい」と取られて仕方ないのです。
 わたし個人は、異様に感情表現が派手で何でも顔に出るので、エジプト的には「大変分かりやすくて結構」らしく、日本完全不適応だったこの性質が、人生で初めて肯定評価されています。あのド派手で分かりやすいエジプト人に「あなたは何でも分かりやすいね!」と何度も言われているので、相当漏れまくっているのでしょう。
 自分がこんな性格なので言うわけではありませんが、確かにもうちょっと日本人は何か言った方がいいですよ。言葉の問題ではありません。いっそ日本語でもいいし、言語以前にぎゃーとかわーとか言うだけでも、顔と動きと声を発さないと、ションボリしているとか怒っていると思われるのは当然です。わたしだって一緒にいたらションボリします。
 これは「無理に笑え」と言っているのではありません。それでは日本の会社です。逆に、しんどい時はしんどそうな顔をしても大丈夫なのですよ。エジプト人も、露骨にしんどそうにしています。しんどくても明るく頑張っている他人は評価されますが、そのまんましんどそうにしても、日本ほどマイナス評価されることはありません。
 先日K氏を紹介した時の話になったのですが、彼女がしきりに「彼は何か気に食わなかった? 怒っていた?」と心配していました。少なくともわたしから見たら、彼は怒っても不機嫌でもなかったのですが(まぁ本当のところは本人に尋ねないとわかりませんが)、彼は日本人らしくそんなに顔に感情を出さず、淡々と喋る人なので、かなり日本人慣れしている彼女でも、不安になってしまうようです。
 「彼は礼儀正しい人物だから、エジプトの女性に慣れ慣れしくして、失礼をはたらいてしまわないよう気をつけていたんだよ。わたしは最初、彼にあなたの隣に座らせようとしたんだけど、『それはいけない』と断っていたよ。貴方を尊重したいから、慎重な振る舞いをしていたんじゃないかな」と言っておきました。これは事実だと思います。
 「他人を助けない」というのは、難しい問題です。
 少なくともエジプト基準で言ったら、日本人は概ね「非常に冷たい」です。エジプトだけでなく、かなり多くの国に比べて、日本人は他人を助けません。日本語学習者の雑誌で「日本に来て何に驚いた?」という質問があったのですが、「電車で老人に席を譲らない」という回答があり、本当に悲しくなりました。エジプトでは、小さな子供まで我先にお年寄りを助けます。
 ただ、日本人がひたすら冷血漢なのかというと、そういうわけではなく、「そっとしておいてあげる」「敢えて放っておく」という優しさもあるかと思います。老人に席を譲らないのは論外ですが、エジプト式に「我こそは」と呼んでもいないお手伝いが殺到するのは、日本人なら親切の押し売りと受け止めることもあるでしょう。その辺は少しだけ割り引いて見て頂けると、多少は名誉が保たれるかと思うのですが・・・。

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