信仰や「異文化との共存」(この表現はいかにも教科書臭くて嫌いだし、ハッキリ言えば欺瞞だけど)を巡って旅していると、寛大さについて話したり考えたりする機会がどうしても多いです。
寛大とか寛容とか言えば、それは聞こえが良いですし、どこの国のどこの人でも、寛大であることは素敵なことだ、と思うでしょう。「寛大さ」を理想として掲げておけば、とりあえず文句を言ってくる人はあまりいないし、「異文化との共存のためには寛大さが大切です」とか言っておけば、なかなかケチもつけられません。
ですが、この「寛大」という言葉がなかなか曲者で、まず、一口に寛大といっても、その性質は文化により異なります。
さらに、実際に「寛大さ」を実践する段階になると、単に緩めていくだけだと「それは寛大ではなくいい加減なだけだ」とか「いくら何でもやって良いことと悪いことがある」とか「社会の最低限のルールだけは守ってくれないと」等々、細かい異論が噴出して、結局立ち行かなくなることが往々にしてあります。
問題の根っこは多分、最初の「寛大さ」という理想が、綺麗すぎることにあるのです。
似た環境・似た文化で育った者同士でも諍いが耐えないのに、見当もつかない世界の人々がやって来たり、こっちから出向いたりすれば、問題の一つや二つ起こるのが当たり前です。それに対処するのに「寛大さ」などという、何だか聖人君子のような理想を持ち出してしまうと、結局「いやー、ウチらそんな立派なものじゃないしなー」と諦めてしまう結果になるのです。
「寛大さ」という言葉には、現実世界でわたしたちが直面しなければならない、「大したことじゃないけどどうにも不愉快な細かい問題の山」を、単純化しナメてかからせてしまう小奇麗さがあります。
実際にわたしたちを苛立たせる問題というのは、ほとんどの場合、大したことではありません。電話で喋る声がやたらデカいとか、よく遅刻するとか、挨拶がやたら長いとか、一つ一つ見れば些細なことなのです。「ほとんど一緒で、ちょっと違う」からイライラするのです。こういうタイプのチクチクくるストレスに対しては、大上段に構えた大きな理想はあまり役に立ちません。
実際のところ、本当に役に立つ心構えというのは、ただ単に「雑」で「いい加減」になることでしょう。
「雑」とか「いい加減」というのは、初めからプラス一面の言葉ではありません。「いい加減」であることに利点があるにしても、100%ポジティヴな性質だと思う人はあまりいないでしょう。
そういう、半ば必要悪的なものを覚悟して初めて、現実の中で戦っていけるのです。
色々問題は起こる。その問題は、多分解決しない。でもとりあえず死なないから、今日はもう寝ろ。
そんな調子で、テキトーにノラリクラリかわす、ダメダメなやり方が功を奏する場面も沢山あります。
ですから、最初から「ちょっとダメっぽいことをやらないと乗り越えられない」覚悟を持っておく方が、綺麗な言葉で理想を語るより、ずっと有効でしょう。
イスラーム研究者の片倉もとこさんが、「ゆとり」と「くつろぎ」から「ゆとろぎ」という言葉を提唱されていましたが、大変失礼ですが、この言葉もちょっと美しすぎます。
その美しさと「ゆとろぎ」の大切さには異論はないのですが、リアル「ゆとろぎ」には、ゆとりというより単に「怠けている」とか「やっつけ仕事」的な一面もあって、全面的にプラスに見られるものではありません。
そういう、これまた「ちょっとダメっぽいものでもいいのか」という問いが、美しい言葉の前では忘れられてしまいます。
ちょっとダメっぽくてもいいんですよ。そういう覚悟が必要だ、ということです。
「ゆとり」と言えば「ゆとり世代」。
「ゆとり世代」という言葉に最近込められている「ゆとり教育とか緩いこと抜かしていたから、このザマだよ」なネガティヴなイメージができてしまったのも、元の「ゆとり」という言葉が綺麗すぎることが一因です。
最初から「手抜き教育」くらい言っておけば、多少抜けたり漏れたりしていても、後から文句をつける人はいません。いや、幾らなんでも「手抜き教育」では採用されないでしょうけれど・・。
でもですね、本当は「手抜き」くらいダメダメなものが、逆にプラスに働く場面というのがあるでしょう。認めたくないし、大々的に認めてしまうとみんなが手抜きしすぎて困るかもしれませんが、「手抜きもたまにはいいもんだ」くらいドーンと構えて置いたほうが、本当に「手抜きが必要な場面」に出会った時に、堂々と手が抜けるというものでしょう。
わたしは「寛大」ではないので、そんなものが必須条件なら、到底「異文化との共存」なんてできません。
でも大雑把でいい加減ですぐ忘れるので、実際のところはそれなりに生きています。神様ありがとう。
追記:
ふと思い出しましたが、一時期鬱病を「なまけ病」等と呼んで、患者さんを誹謗する言説がありました。個人的には、ぶっちゃけ「なまけ病」でも良いと思っています。問題は「なまけ病」くらいでグダグダ他人のことに因縁つけてくる小町的精神の方でしょう。「なまけ病」、結構じゃないですか。そんなヤツもいるがな。アンタこそ働き病とか小町病とかそんなんやろ。放っとけボケ。

アスワーン西岸らくだと2ショット posted by (C)ほじょこ
寛大さより手抜きといい加減
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