アブ・シンベルから戻ったお昼過ぎのアスワーン。
ルクソールのOASISが余りに居心地が良く、この日にまたルクソールに戻ろうと思っていたのですが、夜の汽車までにまだ時間があります。
アスワーンも「東高西低」な構造で、鉄道駅や宿などは東岸にあるのですが、西岸でもブラブラしてみるか、と思っていたところで、男が片言の日本語で「ヤクザ」とか言ってきます。
「それは汚い言葉だ、そういう言葉で呼びかけてはいけない」と言うと、男が「知らなかった」と真剣に謝ってきました。「それはわかっている。日本人の観光客には、悪い人もいる。そういう人が変な言葉を教えて、知らないまま使っているのはわかっている、あなたのせいではない」と言うと、「お詫びにお茶を奢らせてくれ」と言ってきます。
こういうナンパ手口なのかも、と思ったのですが、なかなか引いてくれないので「お茶は要らない、代わりに新聞を奢ってくれ」と言ったら、本当に新聞を買ってくれました。1ポンドですが。
西岸に行こうとしている、と言うと、切符も買ってくれた上、「案内するから」としつこいのですが、ちょっとしんどくなってきたので、「悪いけど一人で行きたい」と何とかお断りしました。
ローカルの渡し船に乗ります。ルクソールのローカルフェリーと違い、本当にただの船。混雑していたせいか、船の半分は男性、半分は女性、と分かれて乗っていました。
帰りに自腹で乗ったら5ポンドでしたが、ルクソールのローカルフェリーでも1ポンドなのに、高すぎます。ボラれたかもしれませんが、まぁ他に交通手段もないので良しとしておきます(地元民の彼が幾ら払ったのかはわからないですが、5ポンドとうことはないと思う)。
アスワーン西岸に着くと、そこには小さな売店がある程度で、ほとんど建物もなく、いきなり砂漠です。
丘の上にマカービル・フィルアウニーヤという墳墓群があり(そう、「マァービル」ではなく「マカービル」と発音している!)、北がヌビアの集落になっています。
ここにはラクダ引きやロバ引き(?)が沢山いて、イード休暇中のせいか、丁度日本のファミリー牧場のようなノリで、家族連れで大混雑していました。ほとんどエジプト人です。
ここのラクダはギザのラクダと違って毛並みが良く、ロバも可愛い子が多いです。一匹まだ子供のロバがいて、時々地面を足でケンケンしたりして、めちゃくちゃ可愛いです。撫でてみたら毛並みもフワフワです。

アスワーン西岸風景 posted by (C)ほじょこ

アスワーン西岸たくさんのらくだ posted by (C)ほじょこ

アスワーン西岸の子供のロバ posted by (C)ほじょこ

アスワーン西岸でロバに乗る子供 posted by (C)ほじょこ
ラクダ引きが「それはまだ子供だ、乗れない」とか声をかけてきます。そんなことは分かっています。「どうせボッタくるのだろう」と思い、「ヌビア村まで歩く」と歩き始めると、ラクダでポコポコ追いかけながら、頭上から営業してきます。
「鬱陶しいなー」と思っていると、買い物帰りらしいヌビアのおばちゃんが声をかけてきます。おばちゃんだとすっかり気を許し、ヌビアの村に向かって一緒に歩きながら「アスワーンはカイロと全然違ってのどかだねぇ」などとお喋りしました。
おばちゃんが「ラクダ乗ってみたら? アメリカ人もフランス人も皆乗ってるよ」と言うので、「おばちゃんが言うなら」とラクダに乗ることにしました。
後になってわかったのですが、彼らは確かに営業をかけてくるのですが、カイロと違って、やり方も素朴だし、めちゃくちゃボッタくるようなこともありません。街の人がことごとく声をかけてきますが、本当に純粋に興味を持ってくれていることが多いです。
ラクダも25ポンドで、結局2時間くらい満喫したので、十分適正価格でした。
ラクダに乗るのは二回目ですが、前より少し余裕が出てきたせいか、自分で手綱を持たせてもらい、「どうやって操るの?」と質問します。マフムードと名乗るヌビアの青年は、ラクダ乗り独特の声を出して「こうやると進むんだ」と言いますが、そもそもその声を真似できません。結局タンデムしてもらって、砂漠をポクポク進みました。ラクダの名前は「モニカ」ちゃん。
船着場から近いところは、岩のゴロゴロしている砂漠で、少しゴミも落ちていますが、それでもギザとは比べ物にならない程綺麗。
しかも、丘を越えて少し進むと、岩がまったくない、日本人のイメージする「サラサラの砂漠」があります。サラサラ砂漠でラクダを降りて休憩したのですが、こんなに街から近いところなのに、本当に綺麗でずっと手ですくって遊んでいたくなります。砂の熱さが気持ちよいです(後で考えると、日中は砂の中に虫やら蛇やらが隠れているので、不用心だったかも)。
お値段を考えても、ラクダに乗りたいなら断固アスワーンです。ギザなんかで乗ったら絶対ダメです。あそこは砂漠というよりゴミ捨て場ですから(笑)。

アスワーン西岸らくだの上から posted by (C)ほじょこ

アスワーン西岸の砂漠 posted by (C)ほじょこ

アスワーン西岸墳墓群 posted by (C)ほじょこ
青い装飾で統一された、とても可愛いヌビアの村も一望できます。
「村には、嫁入りしたドイツ人とスペイン人がいる。君が僕のお嫁さんになったら、日本人は一人目だ」と、この辺は普通のエジプト人と一緒。
砂の上で休憩している時、携帯に入れているボブ・マーリーの曲を聞かせてくれました。
「ボブ・マーリーが好きでドレッドにしていたんだけど、軍隊に入った時に切った」「軍隊は大変だった?」「すごい大変だった!」。
滅多なことでは弱音を吐きそうにないタフなヌビアの青年が、語気を強めます。彼だけでなく、屈強そうな何人ものエジプトの男が、「軍隊だけは・・」と語るのを聞きました。エジプトの軍隊は本当に過酷なようです。火の輪潜りをさせられた、と言っていました。それ何か意味あるのでしょうか・・。
彼が時々、ラクダの上から携帯電話でヌビア語を話しています。
ラクダに携帯、という風景が既にすごいですが、ヌビア語はアラビア語とはまったく違う言語で(アラビア語アスワーン方言とも関係ない)、書記を持ちません。
ちょっと例文みたいなものを作ってもらったら、語順的には動詞が最後に来るようでしたが、全然自信はありません。

アスワーン西岸砂漠 らくだと携帯 posted by (C)ほじょこ
ラクダと砂漠を満喫して、船着場に戻る。
お茶を飲みながら代金を支払ったのですが、25ポンドのうち20ポンドはラクダの持ち主に渡され、マフムード青年の取り分は5ポンドだけでした。時給2ポンド(約40円)くらいです。バクシーシくらい渡してくれば良かったです。
船の中で、小学生くらいの女の子が話しかけてくる。
つたない英語で「名前は何て言うの」「どこから来たの」とか聞こうとするので、「アラビア語で喋っていいよ」と言うと、途端にパァッと顔が明るくなって「アラビア語がわかるの!? どうして話せるの!?」と言ってくれたのは、とても嬉しかったです。あんまりまくし立てられると付いていけないのですが(笑)。
6:00の電車でルクソールに戻る。車内で買った切符は33ポンド。
OASISホテルに戻り、また屋上のマタアムでぼんやりする。
他所の宿に泊まっているのに入り浸っている日本人T氏から、色々お話を伺う。
彼はAさんと同じく相当旅慣れた人で、本当に世界中よく旅行しています。
モロッコの奥の方で、現地の人と結婚した日本人男性の話を聞く。逆パターンは沢山ありますが、男性というのは初めて聞きました。
でも、聞いていて憂鬱になるような濃いお話で、ちょっとここには書けません。産業のない世界で一族を背負う稼ぎ頭になるというのは、大変な重荷を背負うことです。
旅慣れたT氏が言った「都会の貧乏は惨めだけれど、田舎の貧乏は惨めじゃない」という言葉が、印象に残っています。
そう、田舎は貧乏人でも、都会のスラムのように悲惨じゃない。食べていけるとかいけないとかではなく、例え仕事がなくても、何か居場所があるからじゃないか、と思う。
仕事がなくなったら価値がゼロになる世界は、手探りで崖の淵を歩くような不安な世界だ。一番大切な命綱を、手放してしまったからだ。
アスワーン西岸の砂漠
ルクソール・アスワーンの旅