
サッカーが何であるかを、あなたに理解させるものは何か posted by (C)ほじょこ
小さなコラム記事ですが、クルアーンを読んでいる方なら、タイトルで「クス」とするかもしれません。
ما أدراك ما كرة القدم
マー アドラーカ マー クラトゥルカダム
サッカーが何であるかを、あなたに理解させるものは何か
というタイトルですが、これは、
ما أدراك ما ليلة القدر
マー アドラーカ マー ライラトゥルカドル
みいつの夜が何であるかを,あなたに理解させるものは何か
という、スーラトゥ・ル=カドル(みいつ章)2節のもじりです。「ライラトゥルカドル」と「クラトゥルカダム」も音が似ています。
こういう「クルアーンネタ」というのは、ご法度なのではないかと気をつけていたのですが、品位ある内容であれば許されるようです。考えてみると、今までにも似たようなものを目にした気がするし、わたしの教養が足りずに気づかないだけで沢山あるのかもしれませんが、どの辺が「やりすぎライン」なのか微妙そうなので、自分ではなかなか使えません(笑)。
この記事を訳してみようとしたのですが、詩文形式でエライ格式高い文章になっていて、正直まったく自信がありません。雰囲気を伝える参考までにヘボヘボの訳を載せてみますが、沢山間違っているので、笑って許してやってください。
要するに、昨今のサッカーがらみの問題について、心ある方々はキチンと嘆いている、ということです(笑)。
アラブの民よ、世界が笑っているぞ 足の発明を囲い込んでしまって以来
手綱は頭より足に落ちた 端綱は闇の愚者と成り果てた
知性は狂乱し、分別の彼方 振る舞いは道徳と価値に遠くある
民は学問と文学で競っていた 足の一蹴りは高みにあった
兄弟に対し、愛ある眼差しを送っていた それが敵意と下劣さの山で返された
スポーツは心身の基礎たるものだ 今や殴る蹴るの領分だ
願いの極みは十億のキック だが病気や疾病から癒されたか?
願いの極みは十億のキック だがテント暮らしの者の飢えに応えたか?
願いの極みは十億のキック だがバラバラになった者たちを秩序の元に集められたか?
友がライバルとして来ればガズワとなる バドル、ハンダク、栄光ハイバルにはこれがなかった
歴史とアラブ性は溶けた蝋燭 サッカー場が燃えれば集まってくる
十一の選手は努力を交わす 無数の夢中になった者たちが踊ったり落ち込んだりしている
ゴールを取ればピラミッドを築く あるいは学と知を声高に罵る
ゴールを取れば、この世に場所などあろうか? あるいは二人の多神教徒と続く列が不幸と闇と共に訪れるのか
破壊と混乱が断絶以外の何より遠かろう? その遠さは、後悔の指を噛むのに供するのか?
旗を高く掲げ 扇動を煽る 惨めな狂信へと堕ち退いてしまった
勝利を飾り立て敗北に委ねなかった アラブそのものが、サッカー競技場で敗れたのだ!
バドル、ハンダク、ハイバルというのは、イスラーム草創期の合戦の名前です。ガズワというのは戦争のことですが、普通の戦争ではなく、イスラーム草創期の預言者の戦い、という含みがあります。
もっと勉強するです・・・。
