イチジクとマンゴージューズ、コシャリとウルズビッラバン(牛乳ご飯)

 朝ちゃんと起きたものの、疲れがたまっていたせいか、初めてDon’t disturbにして朝食を諦めて二度寝してしまいました。わたしの部屋は西向きで、深夜になっても熱が残って寝苦しいのですが、午前中はすばらしく快適です。惰眠を貪りました。
 お昼からマタァムで一人で勉強。
 宿題もあるので大変なのですが、仲良くなってきたマタァムの人たちが次から次に話しかけてきて、勉強どころではありません。いや、それもまた良い訓練にはなっているのですが、普通に外国人を弄っているだけなので、もうわけのわかんない言葉とか覚えさせられます。でも、最初の頃に比べると、こうした「先生以外の人」の言葉もわかるようになってきました。それに、一人で辞書をひきひきしていると気分が落ち込むこともあるのですが、お喋りしているとすぐに楽しくなります。
 会う人ごとに「名前は?」と聞いてきて、わたしも相手の名前を尋ねて覚えようとします。わたしの名前は非常に短くて特徴的なので、外国人にもすぐ覚えて貰えるのですが、アラブ人は似たような、というか同じ名前の人が異様に多いので大変です。「アフマドってどのアフマドよ」みたいな感じです。街中で「ムハンマド!」と叫んだら、十人くらい振り返ると思います。
 マタァムのチーフみたいな人は、一見強面なのですが、人懐こい下町のおっちゃん風で、やたらわたしに絡んで変な言葉を教えようとします。それを見ているボーイさんが笑っているのに気づき、チーフが「あいつはキツネだ」と言います。チーフが仕事に戻った後で、「キツネ」のボーイくんがわたしのところに来て、「あの人はほんとめちゃくちゃだから、真に受けちゃだめだぜ」と笑いながら耳打ちしてきました。
 夕方授業開始。まずM先生からでしたが、突然「今日はアーンミーヤの日」と宣言されます。週に一日アーンミーヤを教えて欲しい、と言ってあったのですが、前触れもなくその日がやってきました。
 初日は二人で外出して、人々の喋っていることを聞いたり、買い物をして、帰ってきてから詳しく説明してもらいました。
 ただ、スークの中を歩いている時、あまりの喧騒に軽くパニック発作を起こしてしまい、先生に迷惑かけてしまいました(わたしはパニック障害の持病があって、エジプト適性はかなり低いです)。でも、その場で切って食べさせてくれるالتينイチジクはとてもおいしかったです。小さめの四つで1ギニー。マンゴージュースも暑さでバテ気味の体に染み込みます。
 アーンミーヤはまったく素人なので、ものすごい基本をかじっただけですが、文法的にはフスハーより大分簡単そうです。また、一定のパターンで発音をズラしていけば、フスハーと重なる語彙もかなりあるので、フスハーをしっかり勉強していれば、比較的容易に習得できそうな気がします(甘い展望)。
 授業の後半で何でか信仰の話になったのですが(わたしが好きなのでついそういう話をしてしまいますが、慎重に話題にすべきです)、先生の詠むイフラースがわたしの「読むだけ」イフラースと全然違って素晴らしく美しくて感動しました。さらに、イスラームの五つの柱について語っていて、巡礼の話になった時、「必ず、必ず神の家を訪れたい」と語りながら、真面目な先生が男泣きしてしまい、その純粋さに胸を打たれました。
 この湧き上がる恍惚感は、わたしも多少なりとも理解しているつもりなのですが、やはり本物のボーンムスリムの思い入れは尋常ではありません。イスラームは本当に素晴らしいと再認識させられました。
 後半A先生。M先生と対照的に、ノリで優しく教えるおっちゃん先生のせいか、今ひとつ分析的に話が進まず、なんだか普通のアラブ人に片言教えて貰っているみたいになります。よくわからないアーンミーヤをずっとやっていてちょっと疲れてきたので、最後の一時間くらいはフスハーの勉強をさせてもらいました。
 アーンミーヤも上達させたいですが、個人的にはやはりフスハーが大好きです。世界で一番美しい言葉だと勝手に愛しています。
 授業の後、A先生と約束通りコシャリを食べに行きます。
 コシャリは、エジプトに興味のある人なら誰でも知っている庶民食で、米とマカロニと豆という、炭水化物だらけのファストフードです。日本人にはすごく馴染みやすい食べ物で、日本で言えばラーメンみたいなポジションだと思います。
 連れて行ってもらったコシャリ屋さんは安くてすごくおいしい! チリソースなどのスパイスを勝手にかけられるようになっているのですが、ドバッとやろうとしてA先生に止められました。
 でもわたしは、タイ人に驚かれたくらいの辛いものフリークで、スイーツ好きのエジプト人の百倍辛さに強い自信があります。「アホちゃう」というほど辛くして、飽きられながらおいしく頂きました。
 コシャリの後はデザートのالأرز باللبن(ウルズビッラバン)。「牛乳ごはん」といった意味で、甘いらしいので「お米に牛乳と砂糖をかけて食べるなんて」と思って躊躇していたのですが、いざ食べてみたらこれがおいしい! 見た目はおかゆのような感じで、ミルクというか、ヨーグルトみたいなのと混ぜられている感じです。日本で売っても絶対人気になるはずです。
 考えてみれば、日本人だってお米と砂糖からお菓子を作っているのですから、牛乳というポイントさえ乗り越えれば、こんなに馴染みやすいスイーツもありません。甘いものが今ひとつ苦手なわたしでも、これは食べられます。
 コシャリのあと、二人でナイル川沿いをお散歩して帰りました。道で見かけるものを一々「あれ何?これは?」と質問して、子供のようにフスハーとアーンミーヤそれぞれで教えて貰います。でも、記憶に定着するのはごく一部というのが悲しいところです。
 そういえば、エジプトの道路にはところどころに人工的な起伏(「シナーアトティッブ」みたいな名前だったと思いますが、自信がありません)があり、スピードの出しすぎを防ぐ目的だというのは見るだけでわかるのですが、それが学校やジャーミゥや教会など、人の出入りが多い建物の前に作られている、ということを教えてもらいました。
 かなり強引なやり方ですが、確かにこれくらいやらないと、礼拝帰りに轢き殺される人が続出するのは間違いないです(笑)。
 今日もあちこちで野良犬と出会いましたが、目を合わさないようにしていたので問題ありませんでした。ヤクザ屋さんのようなものだと思えば、普通です。
 エジプト人の街頭商売は、テキ屋的だなぁ、と感じることが多いのですが、一見洗練されたようなビジネスでも、本質的にはテキ屋がスーツを着たようなものでしょう。もっともらしいことを言っていても、一皮向けば商売なんてそんなものだし、人生ってそういう泥臭いものです。そういう人間らしさが剥き出しでわかりやすいのがエジプトの素敵なところですが、テキ屋・ヤクザワールドの一角をなすものとして野良犬を考えれば、なんとなく「そういう人もいるよね」という感じでストンと落ちます。あれ、納得していいのかな?
 日本人は、テキ屋的本質に気づかず近代的資本主義的ファンタジーに溺れているか、テキ屋本質にすっかりヒネてしまっているか、どちらかのタイプがほとんどにみえます。エジプト人があんなにテキ屋的なのに、一線を越えない暮らしを営めるのは、大衆的生活に根ざした信仰があるからだと感じます。日本に真の信仰が根付かないのは、箱庭的ファンタジーが余りにうまくできてしまって、(良くも悪くも)テキ屋的なるものに気づかないでも生をまっとうできてしまうからかもしれません。
 今日の結論:森羅万象これテキ屋商売也。畜生たりとも軽々に縄張りを踏むべからず。

タイトルとURLをコピーしました