エジプト方言の教科書Kallimni ‘Arabi

 アメ大の本屋さんでアーンミーヤの教科書を物色。
 كلمني عربي(Kallimni ‘Arabi カッリムニー・アラビー)という、有名なエジプト方言の教科書があり、五巻構成なのですが、どの巻を買うかで一時間くらい悩みました。120ポンドという高いお買い物で、さすがに初歩の初歩は要らないし、かといって難しすぎるものを買っても困ります。文字で眺めると非常に簡単なのですが、アーンミーヤで厄介なのは字面の印象と実際の発音の差ですし、どちらかというと教科書をネタに先生とお話するのが主目的なので、易しめのを買った方が「使える」気もします。
 五巻のうち四巻目だけがなかったのですが、三巻のKallimni ‘Arabi Aktar: An Upper Intermediate Course in Spoken Egyptian Arabic 3と五巻のKallimni ‘Arabi Fi Kull Haaga: A Higher Advanced Course in Spoken Egyptian Arabic 5を何度も取ったり戻したりして、結局三巻のKallimni ‘Arabi Aktarを買いました。
 結果として、ネタに使うには丁度良いレベルだったのですが、在庫のなかった四巻が最適だった気がします。逃した魚は大きいです。
 ちなみに三巻はCD、五巻はDVD付き、お値段は両方120ポンドでした。タイトルがいちいち「もっとアラビア語を話して」とか「ちょっとアラビア語で話して」と、レベルに合わせて?いるのが可愛いです。「大泥棒ホッツェンプロッツ 三度現る」みたいです。
 ともあれ、超超入門書と手製プリント以外に教材もなく、口頭とネットだけですべてを学んできたアーンミーヤ学習生活にも、ようやく書籍らしい書籍が導入されました。アメ大の本屋さんには色々教材が売っていて、こんなに色々勉強できるアメ大はすごいなぁ、と思いました。でもすごい授業料高いみたい・・。
 アラビア語学習者はみんなご存知ですが、アメ大出版部(The American University in Cairo Press)からはいくつか素晴らしい教科書が出版されています。というか、ここ以外に使えるものを提供してくれるアテがありません(笑)。
 アラブ世界の出版物は非常に誤植が多く、新聞にすら度々間違いが見つかるくらいなので、「誤植を見つけるのも勉強のうち」と思っておかないとやり切れないのですが、アメ大出版のものは比較的少ないです(日本基準よりは多い)。
 最近ニューカイロに一部移転したアメ大ですが、元々の校舎がカイロ市街のド真ん中にドーンと陣取っている姿、そこに通っている白人達を見ると、何となく気分が悪いです。一方で、彼らの提供してくれている出版物は(エジプトの中では)非常に使いやすく信頼できるもので、エジプトの現実と、エジプトで学ぶ日本人の葛藤を映し出している気にもなります。
 以前に知人と夜のダウンタウンを歩いていて、「ウストゥルバラドの建物はみんなかっこいいね」という話をしていたら「そうだろう。僕も大好きだ。でも、全部イギリスやフランスが作ったものだ」と吐き捨てるに言っていたことがありました。
 逆にイスラエル人なんかは、一人一人はエジプト人よりずっと話が通じたりする気がします。昔先輩と「中国の文化文明は好きだけれど、中国人とはなかなか友達になれない。アメリカの文化は大嫌いだけれど、アメリカ人個人にはイイヤツも多い」という話をしていたのを思い出します。そういう「グローバル的な話の通じさ加減」など唾棄すべき頽廃なので、全然期待していませんが。
 F先生の授業。お互い段々打ち解けてきて、楽しく進められました。
 早速Kallimni ‘Arabi Aktarを使ったのですが、内容的には易しいはずなのに、意外と知らない単語が出てきて焦りました。غلبという単語は、フスハーだと「打ち勝つ、克服する」みたいな意味なのですが、エジプト方言では「諦める」意味で使うそうです。エジプトが段々やる気なくなっていったみたいで面白いです(笑)。
 知らない番号から電話がかかってきて、不審がりながらも電話に出てみると、番号を教えたことのない知人。共通の知人に「絶対誰にも教えないから」と電話番号をしつこく聞かれたのですが、そいつが漏らしていました。すぐ脇にいたようで電話を代わったので、「嘘つき! もう電話してくんな!」と罵って切りました。
 でも、これくらいのことはよくありすぎるので、本当はそんなに怒っていません。これくらいヘマしてくれた方が、面倒くさい人を怒鳴って切るきっかけになるので楽です。わたしが一番外道です。
 ちなみに、かけてきた本人(電話番号を尋ねた側)には何の罪もないので、そのうち連絡しておきます。
 一回部屋に戻ってきたら、またS先生の授業が流れてしまったので、ご飯を作って食べてから「カフェで新聞でも読むか」とウストゥルバラドに戻ってくる。
 歩いていたらDさんから電話。友達を待っている間に暇で電話してきたみたいですが、たまたま100mくらいの距離にいたので、遊びに行ってしばらく道端に腰掛けて話しました。
 わたしがアーンミーヤについて色々質問すると「アーンミーヤに興味を持ちすぎるな、アーンミーヤは言語を殺すものだ」とか滔々とフスハーで語るくせに、普段は高速アーンミーヤで話しかけてきて困ります。
 コイツも知らない間にわたしの電話番号を他人に教えていて、「勝手に教えるな」と諭したのですが、教えた相手が割と印象の良かった人物だったこともあり、穏やかに釘を刺して済ませます。ダブルスタンダード。
 D氏が友達とでかけた後、新聞を読む場所を求めて歩く。
 テレビの該当インタビューに出くわしました。
街頭インタビュー1
街頭インタビュー1 posted by (C)ほじょこ
街頭インタビュー2
街頭インタビュー2 posted by (C)ほじょこ
 カメラマンがこっちにピースしているのがエジプトらしいです。
 また男が話しかけてくる。
 向こうが英語を使わず、最初アーンミーヤ、次にフスハーだったこともあり、少し歩きながら話します。
 アスワーン出身でフランスに五年滞在した後、帰国しカイロで働いているS氏。ヌビア語(アラビア語ではないまったくの別言語で、書き言葉を持たない)、アラビア語アスワーン方言、アラビア語カイロ方言(いわゆるエジプト方言)、フスハー、英語、フランス語を操ります。エジプトにはこの手の多言語マスターが掃いて捨てるほどいます。「カフェで新聞でも読もうかと思っていた」と言うと、Nというマクハーが良い、と言います。場所を説明しようとするのですが、うまく伝わらないせいか、一緒に行くことに。
 結局よくあるナンパみたいになってちょっとウンザリしつつも、練習台にできる、と例によって非道な下心を抱いて着いて行ってみると、前に一度だけ知人に連れて行かれた店でした。
 前に来た時に非常に不愉快なことがあったので(店のせいではない)、気が乗らなかったのですが、ここまで来た手前一緒に入ります。
 お酒を飲んでいる人が沢山いるところで、彼も飲んでいます。
 正直、大変気分が悪い。
 別に他人の信仰実践に口を挟む気は全然ないのですが、エジプトに来て以来、アルコールに対する忍耐力が以前よりも更に弱まってきている気がします。
 日本にいた時からお酒の席には顔を出さず、歌舞伎町などナパームで焼き払うべきだと今でも信じていますが、お酒を飲む場や飲む人のすべてが「悪」とまでは思っていませんでした。心底信頼している人が相手なら、お酒を飲んでいる人とも楽しく会話できていました。エジプトに来て以来、お酒を飲む人がほとんどいない環境のせいか、嫌悪というより憎悪が加速しているようです。信仰とは全然関係なく、ただ単にお酒と酔っ払いが心底嫌いなだけでしょう(笑)。
 ムスリムが多数派の国は、せっかくお酒やポルノを排除し易い環境にあるのに、こういう場が依然存在することが不愉快でなりません。まぁ、目につかない場所にはなっているので、嫌なら行かなければ良いだけの話で、見たくないものまで目に入ってくる日本より、遥かに心穏やかに暮らせるのですけれど。
 しばらく一緒に新聞を読んだりしたものの、段々「ボーイフレンドはいるのか」とかそっち系の話題になり、しかも言っているのが飲酒者なので、露骨に不機嫌そうな顔をしていたら、普通に解放してくれました。
 ちなみに、ネスカフェ一杯で10ポンド。普通のマクハーなら即抗議ものですが、カフェと言っても「飲み屋」みたいなところなので、仕方ないか、という印象。
 ナンパっぽい流れなので奢られるかと思っていたら、自分で払うことになりました。でも、これはむしろ良かったと思います。向こうもつまんなかっただろうし、短時間ながらも言語について質問したりしたので、こんなところで奢られたりしたら借りができすぎます。
 S氏はまだ三十そこそこに見えましたが、店の選択といい、マルボロライトを吸っているところといい、フランス滞在の前半が留学であったことといい、多分ボンボンです。
 アスワーン方言について最近になって知った情報をいくつか確認したところ、正しい情報でした。こういう話だけは無条件に面白いです。
 「一緒に新聞読むごっこ」で、単語について尋ねると、人により色々な説明の仕方をしてくれるので、なかなか興味深いです。色々な文章で目にして、色々な人に説明してもらうと、辞書では表現できない、一般アラブ人の間にある語イメージが把握し易く、とても勉強になります。
 حصادという基本単語の意味が思い出せずに尋ねたところ、「集めること、色々なところからちょっとずつ取ってくる感じだ」と言います。「مجموعみたいな?」と言うと、「その通り」との答え。
 辞書で引くと「収穫」という訳語になっているのですが、「実を集めて収穫する」みたいなイメージなのでしょう。使われていた文脈でも、「収穫」ではしっくり来ない抽象的な意味で使っていて、「たくさん」「結果」「細かいものがちょっとずつ集まって大きな塊になる」みたいなイメージと連合しているように感じます。
 今日の新聞で、ガマール・ムバーラク氏(ムバーラク大統領の次男で、次期大統領候補の一人と言われる)を米国の調査機関が2010年に注目すべきアフリカ人の一人に選んだ、と知りました(英語による関連記事)。国民には人気がない、といった報道も目にするし、英語圏での情報を探したら全然注目されていないのですが、実際のところ、その辺のおっちゃんがどう位置づけているのか気になります。政治の話に持っていくのは疲れるしイヤなのですが、機会があったら何となく探ってみたいです。
 帰宅し自習したりテレビを眺める。
 アル=アラビーヤ(ドバイ発のアラビア語放送で、サウジアラビア資本と言われる)のニュースを見ていたのですが、フスハーが非常に聞きやすいです。同じフスハー放送でも、アル=ジャジーラ、特にアル=ジャジーラ子供チャンネルは、教育目的もあってか、イウラーブを過剰に強調していて、かえって聞きにくいです。子供チャンネルの場合、内容的に「お話的」なため、ニュースより語彙的に難しいこともあります(どの言語でもニュースの聞き取りは一番簡単)。
 アル=アラビーヤのニュースは、程よく崩れたフスハーで、日本人学習者には一番しっくり来るかもしれません。
 深夜、寝ているところにDさんから電話。
 友人に帰るアテのなくなってしまった人がいるらしく、つきあって街にいるらしいです。そんなことで電話して欲しくないし「寝てた」と不機嫌そうに対応したのですが、一時間くらいしてまた寝ている時にかかってきて、キレました。
 というか、時々キレてやらないと、エジプト人と丁度良い距離で関わるのは難しいです。「丁度良い」というのはもちろん、「こちらにとって丁度良い」だけで、別段「我こそ真理」とは思っていないのですが、自分のことしか考えていないので、力ずくでこっちの都合の良いように小突いたり蹴飛ばしたりして誘導します。
 自分の都合をわめけない人間は、ババを引くのが当たり前。
 エジプト人にも色々いて、というか、日本の一万倍多様でバラバラなですが、非常に大雑把に「欧米かぶれ系」と「伝統系」にわけてみます。知識人が欧米かぶれかというと全然そんなことはなくて、伝統系知識人で、かつ自らの宗教・文化に対し相対的に見られる人、というのも沢山いて、個人的にはこの人たちが一番付き合いやすいです。
 頭が固くて何かと言うと「それはハラーム」を連発する人でも、欧米かぶれ系よりはマシです。まともにフスハーも話せず、アメリカ人の真似ばかりしている軽薄なエジプト人と付き合うくらいなら、アメリカ人と友達になる方がずっといいです(もちろんアメリカ人にも尊敬できる人は沢山いる)。
 頭の固い日本人になりたい。

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