しつこい「なぜ」への対処法、理由は自分の都合で十分

 昼にF先生の授業。フスハーで、前半は描写の多い難しめの文章、後半は新聞を読む。まだ二回目ですが、少し先生のリード力が欠け、こちらが気を使う必要があります。逆に「何でも支配しよう」という強引さがなく、気楽と言えば気楽です。
 授業後、夕方までカフェで新聞を読む。
 その途中、以前に一度だけ声をかけてきて、その後何度か電話を貰っていたものの完全スルーしていたH氏にバッタリ会う。
 要するにこの人は日本人と結婚してVISAが欲しいだけのようなのですが、それがどうして拒否されるのか、全然理解できないようです。
 人間的には別に悪い人ではないと思うのですが、「何を言っても無駄なんやろうなぁ」と遠い目になります。この人に限らず、こういう「話甲斐のなさ」、何を言っても「どうして??」しか返してこない感じには、非常によく出会います。
 大体、日本なんかへのVISAを手にして、何をしようというのでしょう。彼が日本に来たからといって、まず仕事は見つからないし、見つかったとしても最底辺で、今より暮らしは悪くなるだけでしょう。百歩譲って彼がそれで満足したとしても、そんな甲斐性もない男と、道でバッタリ出会っただけで結婚する女がどこの世界にいるのでしょうか。二秒考えたらわかりそうなものなのに、そういう発想はまったくないのでしょう。そういうことも全部仕方ないんだな、何を言っても何をやっても無駄なんだ、という現実に、すっかり馴染んでしまいました。
 あの手この手で話をとっかえて続けようとするのが鬱陶しくなってきたので「それで、要するにあなたは何をしたいの?」「つまり・・・結婚したい」「わたしはしません。終わり。バイバイ」と目をじっと見て言ったら、やっとどこかへ行ってくれました。
 この手の人すら、完全無視してしまうのは、どうもつまらないような気がしてしまうのは、わたしの好奇心が強すぎるのでしょう。でも実際、以前に彼に会った時に引き出した情報は、その後結構役に立ちました。「完全無視」が当然安全ですが、退屈です。危険域・面倒域に突入して、欲しいものだけかっぱらって逃げるのが一番楽しくて得です。
 彼に限らず、エジプト人の「なぜ?」攻撃に悩まされることが、少し前まで非常に多かったです。
 こっちの意向を伝えても、「どうして?」「なぜダメなんだ?」と鬱陶しいことこの上ありません。とにかくしつこいので、しょっちゅう「マティスアルシュレー!(何故って聞くな!)」と怒鳴っていました。
 逆に「なぜ、どうしてって聞くんだ」と尋ねたところ「知りたいから」と力が抜けそうなお答えを頂戴したこともあります。
 「なぜ」を繰り返す割に、こちらから「なぜ」を尋ねると、さっぱり釈然としない答えが返ってきます。
 しつこい「金くれ」系の人に、「なぜお金をあげないといけないんだ?」と試しに尋ねてみると「お腹が減ったから」とか言われます。「知らんがなっ」とツッコみたくなります。でも実際、日本語で理由を尋ねる時にはまったく想定されていない、単なる向こうの事情とか欲望とかが返ってくることが非常に多いです。
 ボッタクリタクシーを問い詰めると、「子供が多くて稼がなきゃならないんだ」みたいに、日本なら単なる逆ギレのような答えが返ってきます。酷い時には「なんでお金払わなきゃならないの?」「欲しいから」というのもあります。
 最初の頃はムカムカしていたのですが、段々「そうか、彼らの考える『理由』というのは、そういう種類のものなんだ」とわかってきました。別に相手を説得したり、両者の共通のロジックに訴える必要はないのです。自分の都合だけ一方的に言えば、「なぜ」への十分な回答になるのです。
 そんな「理由」で許されるなら、こっちも同じやり方で返せば良いのですから、簡単です。
例文1:
「ハーイ、シーン? コリア? ヤーバーン? かわいいねー、お茶しよう!」
「やだ」
「なんでー?」
「やだから」
 非常に簡単です。
 この返しを覚えてから、「なぜ」攻撃がまったく怖くなくなりました。
例文2:
「不満があるなら、言ってもらわないとわからないよ」
「言いたくない」
「なぜ?」
「言いたくないから」
例文3:
「このパピルス一枚なら40ポンドだけど、二枚買ったら60ポンドでいいよ」
「一枚も要らない」
「ええ!? どうして!?」
「いらないから」
「いや、だから、二枚だと・・」
「いらない」
「なぜ!?」
「いらないから」
 応用篇です。
例文4:
「ハーイ、シーン? コリア? ヤーバーン? かわいいねー、お茶しよう!」
「やだ」
「なんでー?」
「やだから」
「なんでイヤなの?」
「ギニー」
「え?」
「ギニーくれ」
「え、ええ!? どうして僕がお金払うの!?」
「欲しいから」
「いや、でも・・」
「ギニー! マネーマネー! ワンバウンド!」
「え、あ、だから・・」
 これくらいやると、ロクデナシ男の脳内が、「外人ひっかけよう」「巻き上げよう」から「頭のおかしい日本人からどうやって脱出するか」にシフトしていくので、バイバイするのも非常に簡単です。犬と一緒で、逃げるとついてきますが、追いかけると逃げます。
 念の為ですが、すべてのエジプト人がこんな調子なわけではありません。話の通じる人はちゃんといます。
 「例文4」は遊びすぎですが、真面目な話、「自分の事情は極力抑えて、相手の都合の良い理由に訴える」などというやり方が通用するのは、狭い島国だけなのではないでしょうか。
 大体、相手のバックグラウンドがこちらと大幅に違えば、「相手の事情」だの「相手の立場」なんてものは、正確に察することもできません。良かれと思ってやったことが、悪い結果を招くこともあります。
 理由なんて、自分の都合で良いのです。それに納得できないのなら、相手も文句を言ってきます。何も言ってこなかったら、それは言わないのが悪いです。
 不平不満がある時に、一番いけないのは黙っていることです。黙っていた結果状況が改善しなかったら、それは黙っている方が悪い。
 そして、不満を表現する時に、「相手にこちらの正当性が伝わるように」などと考える必要はありません。考えるにしても、まず一番最初は自分の事情を一方的にぶつけることです。説得なんてものは、こっちの勝手な都合を大声でブチまけている間に、喋りながら考えれば良いのです。
 夜に少し体調が悪くてグッタリしていたところに、Dさんから電話がかかってきて、最初は断ったものの、少しだけお茶することにする。
 妙な腐れ縁で、向こうもこちらの求める友人的距離を把握してきてくれている、貴重なエジプト人男性です。
 例によってサッカーを見ながらグダグダとお喋りしますが、彼との会話はアーンミーヤについてもフスハーについても学ぶところが多く、学校辞めてこういう人と一日お喋りしていようか、と思ってしまうくらいです。
 先日会った彼の友人とも仲良くしてあげて欲しい、という話をされます。こういうところが、口説きモードじゃなくて非常に助かります。ちなみに、彼の友人のU氏は、アズハール大学を卒業(当然フスハーとイスラーム関係は達人)、ドイツ語が素晴らしく上手で、現在は英語とコンピュータを学んでいるとのこと。最後になって「英語とコンピュータ」という、どこかの短大生のようなチープなネタが来ているのがホノボノします。
 U氏のドイツ語は、D氏と反対で「会話は苦手だけれど文法や読み書きは完璧」と、エジプト人らしくありません。お会いした時の印象も、社交下手な堅物君で、日本人みたいでした。こんなエジプト人もいます。
 U氏とアラビア語と英語の交換授業をしてあげて欲しい、と言われたのですが、英語なんかこっちが教えて欲しいくらいで、「なんで日本人に英語の教師頼むねんっ」とツッコんでしまいました。
 「最近アスワーンに行きたくなってる」という話をしたところ、ガイドなので当然エジプト中に詳しい彼から「アスワーンは本当に人々が優しくて、良い土地だ。でもルクソールには気をつけろ」と言われました。
 「ルクソールのヤツらは、本当にお金を取ることしか考えていない」「例えば、君が10ドルしか手元になくて、途方に暮れていたとしよう。カイロだったら、必ず誰かが助けてくれる(本当に助けてくれます)。ルクソールなら、その10ドルも巻き上げられる」。
 本当でしょうか。
 彼以外からも「ルクソール人はロクデナシ」という話は聞いたことがあるので、遊びに行く時は警戒モードで足早に通り過ぎます。
 D氏に「東京は沢山地下鉄があって、自動車なんか全然要らない」という話をしている時に、うっかり勢いで「20路線くらいある」と言ってしまったのですが、後で調べたら13本でした。今度会った時に訂正しておきます。
 いずれにせよ、東京の交通網の整備され具合は、本当にすごいですね。あんな街で自家用車なんか持っている人は、お金が余っていて仕方がないのでしょうか。
 品位も教養も欠片もないようなヤツらが、アコギな商売で荒稼ぎしている一方、彼らのような純朴で伝統的教養に溢れる人物が、「良くてガイド」な暮らししか約束されないのは、釈然としません。
 こういうエジプトの世相を見ていると、イスラーム復興・イスラーム主義的思想に若者が惹かれていくのは非常によく理解できるし、わたし自身も魅力を感じます。
 夜に近所のパン屋のおじさんとちょっと喋る。
 このお店のおじさんたちはほとんど英語を喋れないのですが、よく通っているうちに、わたしがアラビア語を学んでいる、ということを認識してくれて、お話してくれるようになりました。
 こういう職人系のおっちゃんは、外人相手の商売をしているエジプト人と全然違って、寡黙でシブい人が多いです。「言葉が通じないだろう」と思うと、無言のままジェスチャーだけで伝えようとする人もいます。
 そういう人たちに限って、こっちがアラビア語で喋り始めると非常に親切で、ナンパエジプト人のように口先だけキレイなことを並べたりしません。多分日本でも、田舎のおじいちゃんとかはこんな感じに「本物の日本人」なのではないかと思います。英語なんかより漢気の方がずっと大切だし、尊敬できます。
 「親戚に日本人と結婚して日本に住んでいる人がいる」と言います。そういうエジプト人は山ほどいるので(「親戚」が異様に広いので、辿れば一人くらいはそういう縁がある)、最初は「ふーん」くらいに流していたのですが、「日本に行ったことがある。埼玉とか池袋とか、あちこち遊びに行った」と言います。
 東京・大阪・広島・長崎以外の日本の地名がスッと出てくるエジプト人はそういないので、嘘ではありません。ガラベーヤにターバンの、スーダン人みたいな出で立ちのおっちゃんのですが、意外にインターナショナルでした。
 ちなみに彼は、わたしがちょっとアーンミーヤを聞き取れないと、スッとフスハーにコードシフトしました。恰幅の良いおっちゃんが滔々と喋るフスハーは、めちゃくちゃカッコイイです。
背中に乗る子供
背中に乗る子供 posted by (C)ほじょこ

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