深夜に働く女性たち 仕事は悪くないけど人々は口性ない
年頃の娘たちが貴重な「パンの一切れ」を求めている。社会には哀れみをかける者もなく、「か弱き性」のものとなれば尚更だ。馬鹿げた問いと無駄な考え、訳も無く拒絶する感情、少女が夜の仕事から帰る時、これらがエジプトの通りを満たし、社会には解決を差し伸べるわけでもなく、職探しを決めた者を受け入れもしない。
商業高校を出た持つライラ・アービドゥ(19歳)は、父親を亡くし、母親にも何の考えもなかった。「仕事を探しにでかけ、ムニーラのうちのそばにあるセンターをみおつけて、そこで昼の十二時から夜の十二時まで働いているの」。しかし夜の仕事は家からいくつもの通りが離れていて、帰り道にはいつも暇を持て余した人々から嘲りの言葉を投げかけられる。「これらの人々はお喋りし、どんな理由でも、あるいは理由など何もなくても、娘の陰口を叩く。この程度の卒業証書で、他所に行ってどんな仕事が取れるって言うの?」
ライラは深夜過ぎに家に帰ると言われながらぬくもりのない家に帰り、彼女だけが「暇が人を裁く、人は互いにとやかく言うことをやめない」と知っている。
一方、呼吸器病院の看護婦アミーナ・ガアファルは、その公立病院での仕事のため、イル=ワイリー地区のイル=カービラートの自宅に「夜半すぎに帰るのがほとんどで、地区に着くとすぐみんなにジロジロ見られる。若者がね。ここに住んでいる人はみんなわたしが公立病院の看護婦だって知っているのに、疑ってかかっているみたいだわ」。アミーナはこう続ける。「道のアフワ(訳注:カフェ)にいる人達よ。窓際の女性たちにいたるまで、ヒソヒソ話をやめないの。近所の人もそうでない人も、ひどいことを言って、それっきりなんだから」。
アミーナの家族は彼女の職務状況を静かに受け入れている。給料はそれなりで、仕事は看護という技術職だ。しかし、時々仕事の予定が原因で問題になることもある。「時々お父さんと口論になるの。早朝シフトがダメだとか、大喧嘩になる。でもそれがシフトなんだからどうすればいいって言うの?」。
「人の噂」のせいで、この家族には、社会が受け入れてくれないアミーナの仕事の状況を何とかする必要があった。「人々を黙らせるために、公立高校に通う弟が、どんな夜のシフトでも迎えに来てくれるの。どうすればいいって言うのよ。働けば悪いことのようで、働かなければ物乞いでもするしかない」。
若きジャーナリストのラニヤ・マフムードは、偉大な女性の道を歩くにはまだ道のりが長い。もっと仕事をしなければならないし、もっと勉強しなければならない。もっと柔軟にならなければならない、とりわけ仕事の予定については。「最初、家族は夜の九時より遅くなるのを心配していました。すこしずつ仕事の状況を理解してくれて、遅くなることもできるようになったんです。でも夜の十二時には絶対家にいなければならないし、仕事や交通のせいであってもです」。
ラニヤは幸運だった。彼女は高級なイル=マアーディの住人で、周辺住民は職務上の責任についてとやかく言うことが少なく、皆がほとんど「自分のことだけ」構っているからだ。しかしこの地区には、別のタブーがある。同僚が彼女を家まで送らなければならないのだ。これが「高級地区」イル=マアーディの習わしなのだ。
一方、多くの若者は女性の職業事情に理解を持っている。会計士アーディル・イル=マフディーは、女性が夜遅くまで働くという考えは、もう社会的に受け入れられないことではない、と示した。少し耳が不自由なだけの女性がいて、家族が夜に彼女が帰ってくるのを心配していた。娘以前にあったような危険にまたあうかもしれない、という家族の心配だ。しかし現在の社会的・財政的状況から、より良い生活のための方法のために、考えを変えて行っている。
携帯電話店店主イマード・ラーディーは、社会は女性が夜働くことを少しずつ受け入れていくだろうが、まだこの考えは慎重に扱わなければならないもので、女性が夜の遅い時間まで働くことを社会の自由度の証しと見ることはできない、と述べた。
工学部の学生マフムード・イッ=シャリーフは、エジプト社会に自由な領域が現れ始めていて、それは社会・経済的状況によっている、と述べた。例えば、大学には夜間講義があり、夜の九時か十時に終わる。ここから、女性が夜遅くまで働くという考えに道を開くことができる。なぜなら、家族は彼女が学生の時から彼女が遅く帰ってくることに慣れていくからだ。
この記事について、たまたま知人のエジプト人ムスリマと話す機会があったのですが、彼女の意見が興味深かったです。
「女性が深夜遅く帰ることを社会が徐々に容認するようになってきている、というようなことを言いたいらしいが、この新聞はムスリム以外も読んでいて、ムスリムでも形だけのものが多い。イスラーム的には、そうしたことは容認できない」。
これに対しわたしが「しかし、彼女たちだって好き好んでそんな仕事をしているわけではないし、それで帰りが遅くなるのをとやかく言うのは問題ではないか」と言うと、
「確かにそれは良くない。その前に、彼女とその家族を皆が助けるべきだ。女性が夜に働きに出る、ということは、そのこと自体の是非以前に、そんな状況に追い込まれるまで、周囲が助けなかったことが問題なのだ」という答えを頂けました。
なるほど、そう言われるとそれはそれで筋が通っています。
「では、彼女を悪く言う人間に、『お前たちの言葉は正しい、だが文句を言う前に手を動かしたらどうだ』と言ったら、それは正しいか?」と尋ねたら「そういうことだ」と了解してもらえました。
そういうことなら、わたしも同意見です。
また、「女性の夜の一人歩きと言っても、都市によって状況が違う。例えば東京なら、夜遅くに女が一人で歩いていても、まず危険はない」と言ってみたら「カイロだって安全だ。そういう問題ではない」と返されてしまいました。それは確かにその通りです。エジプトは全般に治安が良く、夜に若い娘が一人で歩いていても、冷やかされたり、この記事のように「悪い噂」につながることはあっても、襲われたり殺されたり、ということはまずあり得ません。
紋切型の「女性の社会進出」的な切り口だけで読んでしまうと、片手落ちになってしまう問題だと思います。

