アブラハムのモスクの帰属を巡る対立

アブラハムのモスクの帰属を巡る対立

イスラエル、宗教戦争の扉を開く
 パレスチナ責任者らは、イスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフが、ヘブロンのイブラーヒーミー・モスクとバイトゥ・ラフム(ベツレヘム)にあるヤアクーブの妻ラヒールの墓を、ユダヤ歴史地区のリストに含める決定を下したことで、中東における宗教戦争の扉が開かれることを警告している。昨日、西岸地区南部のヘブロン市では、この決定に抗議しゼネストが行われ、学校、大学、公設市場など様々な生活拠点でストライキが実行された。ヘブロンで抗議デモを行った学生たちとイスラエル軍の間で衝突が起こり、イスラエル軍はゴム弾、スタングレネード、催涙ガスなどを使った。
 イブラヒーミー・モスクを含む決定により、五十名のユダヤ過激派が、パレスチナ当局の管理下にあるアリーハ(ジェリコ)市のイスラエル軍事障壁の一つに侵入し、ジェリコ神殿での礼拝実行を主張しイスラエルの旗を掲げた。イスラエル過激派代表のマイケル・ベン・アリーは、この侵入により「オスロ合意は死んだ」と主張し、「イスラエル内にいる敵に対し、我々の監視の元で、国の礎を明け渡すことはない」と述べた。
 パレスチナ当局はイブラヒーミー・モスクを含む決定に抗議し、これは聖地の決め付けを禁じる国際法や慣習に反するもので、和平プロセスにも影響するだろう、とした。パレスチナ立法議会の変革改革グループは、この決定を「イスラームの聖地に対する新たなる戦争」とした。パレスチナ法廷裁判官シャイフ・タユスィール・アル=タミーミーは、「パレスチナにおけるイスラーム聖地に対する宣戦布告は、この地区に大虐殺と荒廃の宗教戦争を勃発させることにつながり、それはこの地区だけでなく世界全体を脅かすだろう」と述べた。
 この宣言は、アクサー・モスクへの敵対的な枠組みの中で起こったもので、その完全な支配への道を開くもので、次いでこれを取り壊し、その場所に望む施設が作られることになる、とシャイフは警告した。イブラーヒーミー・モスクは、イスラエル人入植者バルク・ゴールドスタインが1994年2月25日に起こした虐殺事件以来、パレスチナ人とイスラエル人の間で緊張状態にある。事件では、ファジュルの礼拝中に発砲され、礼拝するパレスチナ人29名がモスク内で殺された。
 一方、国連に族するアラブ湾岸プログラム代表タラール・ブン=アブドゥルアジーズは、アラブの状況は劣悪であり、それがイスラエルにこの声明の機会を与えた、と述べた。また、本紙への会見において、エルサレム問題を話しあうアラブサミットを早期に開催することを求めた。

 アル=ハラム・アル=イブラーヒーミー(イブラヒーミー・モスク、イブラーヒーム廟)は、アル=ハリール(ヘブロン)にある預言者イブラーヒーム(アブラハム)の墓。アル=ハリール(ヘブロン)はヨルダン川西岸地区にあります。
 イブラーヒーム(アブラハム)は、犠牲祭のルーツである息子を神の犠牲に捧げようとしたエピソードで知られる、セム系一神教共通の預言者ですが、捧げようとした息子は、ユダヤ教ではイスハーク(イサク)、イスラームではイスマイール(イシュマエル)と主張されています。「一人子を捧げようとした」のだから長子のイスマイールである、というのがイスラームの立場。イスマイールはアラブの、イスハークの子ヤアクーブ(ヤコブ)はイスラエル十二支族の祖、とされています。
 イスハークの子ヤアクーブの子ユースフ(ヨセフ)が、「ヨセフの倉庫」で有名なエジプトに売られたユースフです。全体的に物語性の乏しいクルアーンの中で、ユースフ章はかなりストーリー的で親しみ易い箇所として知られています。
 イブラーヒームの甥のルート(ロト)も預言者で、ソドムのエピソードが有名(聖書で振り返った妻が「塩の柱」になってしまうアレ)。
 ゴールドシュタインによる虐殺事件については、マクペラの洞窟虐殺事件参照。
 アラブ湾岸プログラム(AGFUND)のサイトはこちら

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