ヨーロッパ人活動家らがカイロでガザ入りを求める

ガザ入りを求めるヨーロッパ人がカイロでデモ
ガザ入りを求めるヨーロッパ人がカイロでデモ posted by (C)ほじょこ

ガザ入りを求めるヨーロッパ人たちのデモがカイロで続く 外務省「デモ隊は約束を尊重していない」
「生命線3」エジプトの要請に応えイル=アリーシュに向かう 金属障壁の掘削機械がラファフに届く
 昨日、42もの国籍を含む数百のヨーロッパ人活動家が、カイロの多くの場所でデモを続け、住民への人道援助物資輸送、および同地区にイスラエルが「弾丸を注ぎ込んだ」攻撃の一周年記念を彼らと分かち合うためのガザ行きが認められないことに抗議した。人道および医療援助をガザ地区に運び入れている団体「生命線3」のメンバーは、ヨルダンのアル=アカバ港に数日間足止めされていたが、昨日、シリアに戻ることを決めた。ヌエバア港からのエジプト入りをエジプト当局に拒否され、イル=アリーシュ港からエジプトに入る準備のためだ。これは、本件に関するエジプトの要請に対し応えたものだ。活動家らは昨日、ナイル川コルネーシュの世界商業センタービル前で、抗議の座り込みを組織し、パレスチナを支援するシュプレヒコールを繰り返した。タハリールのモガンマア前では別の座り込みが組織された。三百人にのぼるデモ隊のほとんどはフランス人だが、一昨日夕方、ガザ広場に続くムラード通り(以前のシャルル・ドゴール通り)を三時間半にわたり遮り、フランス大使館前の通りに向けて広がり、ガザへ渡るためのラファフ(訳注:エジプトとガザ地区の国境の町)行きが治安上の理由で許可されなかったことに抗議した。一方、多くのイタリア人活動家は、イタリア大使館に向かい、同様の要求を主張した。
 また、外務省スポークスパーソンのヒサーム・ザキー大使は昨日、在カイロフランス大使館前で座り込みを続けているフランス人活動家らは、政治活動を行うつもりで観光ビザでエジプトに入国している--彼の言によると--点において、「自分たちの約束を守っていない」とした。一方、金属障壁のための作業は継続され、掘削作業を行うための機械が、昨日ラファフ港隣接地域に到着した。

 エジプト・ガザ地区間の国境封鎖や金属障壁建設には、アラブ諸国だけでなく欧米の活動家からも非難が浴びせられていますが、ちょっとこれは筋違いなのでは、と思えます。
 ガザに援助物資を運び入れたいなら、イスラエル側にも陸路はあり、ガザそのものにも港があります。そこからガザ地区入りできないのは、イスラエルが拒否しているためです。
 エジプト政府の政策を諸手を挙げて支持するわけではありませんが(というか疑問もかなり大きいですが)、エジプトとしても非常に苦しい判断の結果、国境封鎖という選択をしているのであり、そもそもこの状況を作り出したのもイスラエルです。
 なぜイスラエルではなくエジプトが抗議の対象になるのか、納得いきません。エジプト人がエジプト政府に抗議したり、百歩譲ってパレスチナ人や他のアラブ諸国から非難されるならともかく、ヨーロッパ人がカイロくんだりまで来て「ガザに入れろ」と叫ぶのは、文句を付ける先を間違えています。
 もちろん、イスラエルに抗議したところで「じゃあどうぞ」と入れてくれるわけもないし、だからこそ「何とかなりそう」なエジプトに目を付けているのでしょうが、エジプトとしてはとんだとばっちりではないでしょうか。
 こういう風景を眺めていると、イスラエル「建国」以降のパレスチナ周辺の歴史というのは、ユダヤという「外部」を措定することで「ヨーロッパ」であった者たちの、巨大な自己愛的贖罪ゲームの掌の中にあるように思えてなりません。ユダヤとは斜線を引かれたヨーロッパの主体なのです。
 アメリカのシオニストというのもまた、ある種の「裏切り感」というものに駆動されている自己愛において、「ヨーロッパ」と並行的です。
 念のためですが、文字通りのユダヤ人やヨーロッパ人を言っているわけではありません。ある歴史物語、自我を支えるファンタジーがあり、そのファンタジーへの病的耽溺が、イスラエルという存在を結果的に招いてしまい、今尚支えている、ということです。
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