アラビア語のイントネーション、エジプト方言の否定文

 アラビア語のイントネーション(強勢、ストレス)については、教科書でも記述が少ないです。
 榮谷先生がどこかで言及されていた記憶があるのですが、日本の教科書だけでなく、欧米やアラブの教科書でも、イントネーションについての解説はほとんど見たことがありません。
 実際、イントネーション以前にクリアしなければならない要素が多すぎるのですが、それだけではなく、多分強勢については、アラブ人自身が意識化しておらず、文法学の中で漏れてきているからではないか、という気がします。
 どんな言語でも「母語話者自身が意識化している文法事項」と「母語話者が意識化していない文法事項」があって、後者はしばしば外国人学習者を苦しめるものです。
 エジプト方言の場合、語末の子音がほぼ無母音化し、語末につく代名詞についての情報が直前の子音の母音で代理表現される等の「情報の圧縮」が行われているため、強勢の重要度がより大きくなっているように見受けられます。
بص ورا
بص وراه
 上の二つの文の場合、وراهのهは、語末であることに加え直前がアリフのため、まったく発音されなくなります(スクーンですらなく、完全消滅)。
 では、二つの文はまったく同一の音になるのかというと、そうではなく、上の文では「ワラー」の「ワ」にアクセントが来るのに対し、下の文では「ワラー」の「ラー」に強勢が置かれます。
 上の文を言われた人は、後ろを振り返れば良いのですが、下の文を言われた人は、第三者の男性もしくは何かのモノ(男性名詞)の後ろを覗き込むのが正解です。
 男性と歩いていて、彼の後ろから刺客が迫っている時に「後ろ!」と言おうとして「ワラー」の「ラー」に強勢を置いてしまうと、「ورا إية؟(何の後ろ?)」とか言っている間に刺されてしまうので、気をつけましょう。
 エジプト方言と言えば、否定文がとても面白いです。
 مとشで挟む否定は、フランス語のne pasに酷似しています。
 「二つ合わせて否定」のようで、否定の本質は先行するمにあって、ماと一旦否定して上がったテンションみたいなものが、شで括られてホッと一息、みたいな雰囲気があります。
 この感じは係り結びにとても似ていて、「身を捨ててこそ」と言い始めたら、お尻がムズムズして「浮かぶ瀬もあれ」で結んであげないと締まりが悪いのと一緒です。
 お尻のشがどこから来たのか非常に気になるのですが、F先生に質問しても「わからない」というお返事でした。絶対どこかに研究があるはずなので、調べてみたいです。
 この「挟む否定文」で、面白い例を見つけました。
عمري ما نسيت
 「決して忘れたことがない」という表現ですが、この表現の中では、ماで完了否定を始めているのに、شで括られません。
 「なぜ?」と質問したら、「عمريという部分が否定の役割を持っているから」という答えを頂戴しました。これ自体は別に「否定」を示しているわけではないと思うのですが、日本語の「全然・・・ない」と一緒で、「全然」自体は否定ではないものの、身半分否定というか(笑)、「もう十分お尻を括ったからشまで言うと言いすぎ」というニュアンスなのかもしれません。
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夜のサイドカー posted by (C)ほじょこ

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