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起床し、まずは長距離バスターミナルまでカイロ行きのチケットの購入に。最終バスは22:00発ですが、人気があるので満席にならないうちにゲットしなければなりません。
乗り合いトラック乗り場付近で足を探す。往復するだけなのでトラックの荷台で良かったのですが、タクシーが声をかけてきて、10ポンドというところを5ポンドまで値切れたので(これが相場価格)、タクシーで行くことにしました。
運ちゃんはジィーズ。アブドゥルアジーズというよくある名前が本名ですが、長いのでジィーズと呼ばれている、とのこと。
若くて乱暴そうな見た目ですが、例によって死ぬほど甘いお茶を差し出し「飲め」と薦めてくれるし、最後の一個の飴を「割って半分にして二人で食べよう」と分けてくれるし、イイヤツでした。
わたしがカメラを出していると「写真が好きなのか? 俺も写真を撮るのが大好きなんだ」と言い、携帯を差し出します。携帯にはダハブのあちこちの写真と一緒に子供の写真が収められています。「ジィーズの子供?」と聞くと「そうだ」との答えで、ダハブやシャルムで働く大勢のエジプト人と同様、出稼ぎに来ているそうです。
チケットを購入した後、ジィーズが「写真が好きなら良いところに連れて行ってやる」と、ラグーナ方面の海がキレイなところまで連れて行ってくれました。

砂漠のタクシー posted by (C)ほじょこ
最初に5ポンドまで値切ったのですが、往復してくれたし、ジィーズがすごくイイヤツだったので、結局10ポンド渡して来ました。
バスのチケットは確か80ポンドでしたが、後で確認すると、チケット自体には60ポンドと書いてあります。80ポンドなら事前にチェックしておいた相場価格なので構わないのですが、シャルム-ダハブ間も毎回値段が違うし、印刷された値段と払う価格も毎回違うし、何だかさっぱりわかりません。
マシュラバに戻り、街をブラブラ。
サミールという服屋の兄ちゃんが話しかけてきて、一緒に店でダベることに。というか、エジプトに来て以来「誰かに声をかけられる>お金は使わずダベる」というパターンでほとんどの日が過ぎている気がします(笑)。向こうも暇なので話し相手が欲しいのでしょう。
ゆっくりわかりやすいアーンミーヤで喋ってくれ、わたしが質問すると丁寧に言葉を教えてくれて、親切な人でした。
ちなみに、彼の店で売っていたバッグに変な日本語のプリントされていました。アメリカ製。

つやつやロンヘアを手に入れよう! posted by (C)ほじょこ
またバッサームの店で一緒にテレビを見る。
مي عز الدينマイ・アッズ=ッディーンという女優主演の映画。父親の元に娘だと名乗る同じガミーラという女性が訪れ、それが全然違うキャラ、というお話。今ひとつ筋がつかみ切れませんでしたが、三人のうちの一人のデブキャラ女優がすごく面白かったです。バッサームが彼女を指してمي عز الدينと言うので、このデブキャラ女優がその人かと思ったのですが、そうではなく主演がマイで、同じ役を三人が演じている、という意図だったようです。
このデブキャラ女優が、日本のデブキャラ芸人の比ではないものすごい巨漢で、しかもすごく面白く、ただひたすら彼女の巨大ぶりを楽しんでいました。
続いてحماد هلالハマーダ・ヒラールという俳優主演の映画。クソマジメで女の子に縁のない男が、ふとした偶然で超アクティヴな女性新聞記者に一目惚れして、友達の助けを借りつつアプローチする、というラブコメディ。
حماد هلالは劇中では冴えない純情男ですが、画像を探すと二枚目です。
ハマーダが父親にデート費用をねだり、父親が渋るのを「ケチ」と言ったら、父親が激怒してバルコニーに出て、周辺住民の前で「みんな、これが見えるか! 100ポンド紙幣だ! 今からこれを破って捨てる! わしがケチではないところを見てみろ!」と本当に破って捨てる場面がエジプト人らしくてウケました。
エジプト人、本当にこんな感じの行動を取りますね。彼らの口喧嘩は相手を打ち負かすものではなく、野次馬=オーディエンスをいかに説得し自分の味方につけるか、という、スピーチコンテストみたいです。
またبخيلバヒール(ケチ)を最も蔑むのも、典型的です。前にも書きましたが、彼らはボッタクリ商法を平気でやる一方、使う時も気前がよく、チビチビ溜め込む態度を本当にバカにします。景気対策としては大変よろしいです(笑)。「バヒール」は冗談でも口にしてはいけない言葉のようです。ケチと罵られれば、本当にこの父親のような行動に出るんじゃないかと思います。
店を出て少し一人で散歩。
アクセサリ屋の男が声をかけてきて、「運を呼び込む」という石を釣り糸みたいなものでくくってネックレスにしてくれました。本当にタダでくれて、しばらくお喋りして普通にバイバイできましたが、このネックレス、ただの紐なので外せません・・・。
ツアー企画みたいな男が声をかけてきて、またちょっとお喋り。横でベドウィンが礼拝しています。
この男が露骨にロクデナシで、「結婚しないでセックスするのは日本の文化なのだろう?」とか言ってきます。「確かにそういう人はいるが、文化ではないし、わたしはそれは悪であり、ハラームだと考えている」と言い返しますが、何かすれ違っている気がします。
これについて考えたいて面白いことに気づいたのですが、長くなるので別エントリに分けます。とりあえずこいつとは即効バイバイ。
さらに散歩して、ラグーナの辺りでH氏に出会う。
彼はホテルの経営者らしく、地元の「顔」で多くの外国人と付き合いがあるようです。
H氏と共に少しマシュラバに戻った辺りのカフェに入り、エジプト人・外国人の混ざった輪に加わります。エジプト人とその妻のオランダ人、長くエジプトに暮らすイギリス人女性、といった雑多な集まりです。ダハブの中の上クラスくらいで遊んでいる欧米系の空気です。
エジプト人と結婚したオランダ人女性は、まだアラビア語がほとんどわからず、夫婦の会話は英語かオランダ語とのこと。こういうカップルはエジプトに非常に多いです。「言葉が不自由で夫婦生活が成り立つのか」と訝しがられるかもしれませんが、これは本当に大丈夫です。こちらで生活していると、言語を完全には理解できていなくても、相当のところまでコミュニケーションが取れる、ということを実感します。逆に母語を共有していても、結婚なんて失敗する時は失敗するでしょう。
非常に面白かったのが、アラブ世界で長く生活しているイギリス人Cさんのお話。彼女はバーレーンで二年あまり学んだ後、ギザの非常に大衆的エリアに七年住んだ、とのこと。残念ながら地区の名前を失念してしまったのですが、その名前を聞いた途端に周りのエジプト人すべてが「正気か!?」という反応をしていて、一人が「エジプト中の銃とドラッグがそこから来る」と言っていました。
実際、そこでの日々は、異様に人々が密着してひたすら怒鳴りあうもので、それまでシャイだった彼女は、ホウキを武器にマスジドで大暴れしたり、獣のようにまとわりついてくる子供達を張り倒すくらい、タフな女性に生まれ変わったそうです(見た目はスレンダーな美人さんで、エジプトによくいる象のように図々しい女性では決してありません)。
それはそうでしょう。わたしが知っている範囲の「貧しい地区」でも、ただ歩くだけで大変な騒ぎです。特に子供の厄介さは、経験した者にしかわからないです。言葉を喋る狼が後から後からゾンビのように追いかけてくる、と思ったら少し近いです。しかも喋る言葉といったら「金くれ」だけです(笑)。幸い今まで子供を暴力で倒したことはないですが、多分一人や二人殴り倒しても、後から後から沸いてきて対抗できないと思います。『ブラックホーク・ダウン』でアメリカ人を包囲するソマリア人みたいです。
彼女はわたしに「アラビア語を上手になりたいなら、そういう地区に何年か住むのをお勧めするわ」と言っていましたが、丁重にお断りさせて頂きたいです(笑)。
こんな話の流れで、「カイロは外国人が住むには最もハードな街の一つだ、一方アレキサンドリアは本当に違う」と一同盛り上がっていたのですが、それはちょっと言いすぎにしても、確かにアレキサンドリアの方が外人には住みやすそうです。H氏がアレキサンドリア出身なので皆で持ち上げていただけかもしれませんが、アレキサンドリア人はエジプト人と言っても祖先にヨーロッパ人の血が混じっている率がかなり高く、カイロ以上に「国際的」な街です。
カイロは何と言っても首都だし、仕事をするならベストに決まっていますが、わたしの訪れた日本以外のいくつかの都市の中では、確かに一番過酷な世界に思えます。「外人にとっての住みやすさ」という意味では、東京もかなり酷いと思いますが、カイロには東京のような外人差別や物価高がない一方、エジプト人の超絶人懐こさ故のストレスと、凄まじい喧騒が待っています(もちろんマアーディやザマーレクに住むなら全然別)。
まぁ、Cさんはいくら何でも住む場所間違えすぎだと思いますが・・・。
わたしがフスハーの方が得意(というかアーンミーヤがヘボすぎる)ということがわかると、座が「フスハー合戦」になりました。
何人かのエジプト人は上手にフスハーを操り、流暢に詩のように語るのですが、何人かのエジプト人は「えー、フスハー!?」という感じで、上手下手以前に照れてしまって喋ろうとしません。
Cさんのアーンミーヤは見事なものなのですが、一方でフスハーは冴えません。大衆エリアで鍛えたのなら、当然でしょう。新聞を読むのも「難しいしイヤ」と言っています。
それでも「フスハーはとても美しい、詩を沢山聞いて、完全には理解できないけれど、とても荘重な言葉だと感じる」と語ります。応じてH氏が二ザール・カッバーニの詩を読んだので、ここぞとばかりにイリーヤ・アブー=マーディの詩を暗誦したのですが、発音が悪すぎるせいか今ひとつウケませんでした。
少し不思議だったのが、サイーディには評判の悪いベドウィンが、アレキサンドリア人と白人、というメンバーの中では割とポジティヴに評価されていたことです。
一方で、サイーディのことはバカにしています。「沢山のサイーディがここで働いているが、彼らは外国人をひっかけに来ているだけだ。彼らの多くは、一年か二年するといなくなる。外人女をつかまえて地元に帰るか、悪いことをして警察に捕まるのだ」と言います。「わたしはここに十年以上も暮らしている。それだけいられるというのは、わたしが間違ったことをしていないからだ」と言うのは、確かに一理あるかもしれません。何でも「そこに長くいる人」には、長くいられた理由があるものです。
ただ、わたしの経験の範囲では、サイーディのイメージは全般に良いです。一方でベドウィンは悪印象で、もし強引に単純化して上エジプトと下エジプトの対立軸で考えるなら、個人的な感触では、上エジプトの人々との方が楽しい時を過ごせる確率が高いです(あくまで確率)。
このカフェで働く白人女性(国籍は尋ねませんでした)が、最近シャルムに赴いてボッタくられた話をしていました。ネスカフェ(トルココーヒーではない普通のコーヒーのこと)で80ポンド(約1600円)請求されたそうです。「最初冗談を言っているのかと思った」とのことで、一同大憤慨です。公定料金では、ファイブスターのホテルでも25ポンドが上限とされているそうです。8ポンドでもかなり高いのに、シャルムは本当に狂っています。カイロの普通のマクハーなら3ポンドです。
ちょっとトラブルがあり、ダハブ滞在の最後で非常に不愉快な思いをしたのですが、そんなこんなでバス発車のギリギリの時間に長距離バスターミナルに滑り込む。バッサームに挨拶できなかったのが本当に心苦しいです(翌日電話して、カイロで再会することを約束)。

ダハブ 夕暮れの猫 posted by (C)ほじょこ
バスの隣が若いエジプト人で「こりゃ寝られないな」と思ったら、彼は母親と一緒で、ママの前のせいか流石にお行儀良く、彼ともその母親とも楽しくお喋りできました。
母親がダハブに住む姉妹を訪れた帰りだそうで、親孝行な好青年です。彼はバスの仕事も手伝っている様子で、従業員なのか純粋な乗客なのかよくわかりません。バス会社で働く青年がツテで安く母親を乗せたのか、単なる乗客がエジプト人らしくバスのことを色々気遣っているのか、どちらなのでしょう。
カイロへの帰路の途中、またトイレ故障のトラブル発生。行きと同じトラブルで、同じ車両だったのかもしれません。長距離バスで二回も臭い思いをしました(笑)。
隣の青年が責任もないのに「せっかくの旅行で気持ち悪い思いをさせて申し訳ない」と言っていて、すごくジェントルマンでした。ママの前でかっこつけていたのかもしれません(笑)。
バスの中でعمر وسلمى(ウマルとサルマー)という恋愛映画を見る。
行きのバスでは字幕付きアメリカ映画でしたが、帰りはエジプト映画でした。寝ている乗客が多く、しかもほとんどはアラビア語のわからない外国人たちに対してエジプト映画を大音量で流すのはどうなんだ、と思いましたが、個人的には非常に楽しかったです。
途中で寝てしまったので筋がよくわかりませんが、تامر حسنيターミル・ホスニーという主演俳優が、二枚目キャラなのだけれど眉毛が思い切りつながっていて、ちょっとウケました。彼が髪型を気にしている場面があるのですが、「髪型より眉毛をなんとかした方がいいよ」とツッコみたいです。彼はエジプトでは普通に二枚目俳優なので、エジプト的には問題ないのですけれど(この美意識も理解できる)。
台詞は部分的にしか聞き取れないのですが、一方で外国映画の字幕も完全には読みきれません。字幕はフスハーですが、現在のわたしの読解スピードでは、理解できる前に字幕が消えてしまいます。せめて字幕についていけるくらいは、読み取り力を上げたいです。吹き替えやエジプト映画がアーンミーヤの練習になる一方、字幕付きのアメリカ映画は、フスハーの訓練に結構使えます。
アッバセーヤ着。
この時までよく知らなかったのですが、シナイ半島方面からカイロに帰ってくるバスは、アッバセーヤのمحطة سيناء للاوتوبيساتマハッタトゥ・スィーナーッ・リル=オートビサートに到着することが多いようです。ここはカイロ中心部からかなり離れているのですが、最初「トルゴマーンの近くだろう」と思いタクシーの客引きを断りまくってしまい、ちょっと失敗しました。
「メトロが近くにあるはず」と勘でかなり歩いた後、ようやく周辺地理を理解して、引き返す羽目になりました。イッ=ディメルダシュあたりが直近のメトロ駅ですが、大荷物をかかえて歩く距離ではありません。タクシーは乗りたくないので、ラムスィース行きのマイクロバスをつかまえました。3/4ポンド。
一週間留守にしただけですが、出発したのがラマダーン明けのイード中だったせいか、自宅近辺の様子が少し変わっていました。ラマダーン中に引っ越してきたので、ラマダーン中休業の店が営業再開したり、店の品揃えが大幅に変わっていました。

ダハブ 犬と男の夕暮れ posted by (C)ほじょこ
一週間の小旅行でしたが、この旅は非常に非常に楽しかったです! 特にサイードとバッサームとの出会いが、最高でした。
ダハブは本当に素晴らしい場所で、是非住んでみたいです。ダハブでアラビア語語学学校をやったら結構儲かるのではないかと思うのですが(現在でも家庭教師みたいなものはあるが、多分質は低い)、先生に提案してみます。需要があるのはアーンミーヤだけでしょうけれど、ちゃんとした学校を作れば、長期滞在して敢えてフスハーと併習する、という学生も現れる気がします。わたしならそうしたいです。地元人に聞いたら、「どこそこのドクター何ちゃらはフスハーが達者」という話を聞けたし、どこの町でも何人かはそういう「物知りおっちゃん」がいるので、自分で探して交渉して家庭教師にするのも一手です(ただし、そういうおっちゃんは大抵非常に信心深いので、イスラームを学ぶ覚悟が必要)。
今までの人生で、一番楽しい旅行で、元々観光にも遺跡にも海にも興味がなかったわたしが、エジプト中旅をしてみたい!という気持ちになってきました。特にアスワーンは一ヵ月後には絶対訪れます、インシャアッラー。
ダハブももう一回行ってみたいので、日本から友達が遊びに来てくれたら、一番に連れて行きたいです。その時は国境近くまで行くか、国境越えてヨルダン突入したいです(イスラエルは入りたくないので船で)。寒くならないうちにおいで!
مي عز الدينマイ・アッズ=ッディーンとحماد هلالハマーダ・ヒラール、外国人同士でフスハー談義、ダハブからカイロへ
シナイ半島の旅