今日でラマダーンが終わり、明日からイードの筈なので、その前にアメ大の本屋さんに行っておこう、と思ったら、今日から既にお休みでした。
さらに先生から電話があり「今日は親族が集まっているから休みにできないか」ということで、授業もナシ。ラマダーン最終日(予定)から、既にお休みなのですね。当日になってから「お休みは普通四日(最終日とイード三日)」と知りました。大晦日みたいなものでしょうか。
そんなわけで、急に暇になった夕方にブラブラしていると、友人にバッタリ会いました。行動エリア的に驚くことではないのですが、何となく流れでまた行動を共にすることに。
イフタールをご一緒した後、彼の部屋(例によって親戚が色々遊びに来ている)やらマクハーやらあっちこっち移動しまくった挙句、彼の甥の運転する車でマアーディに。
以前に日本人の方の車に乗せてもらった時も感じましたが、(ちゃんとした)車で移動していると、街がまったく違って見えます。おまけに目的地がマアーディだったので、王侯貴族にでもなったようなゴージャスな気分でした(マアーディは日本大使館もあるお大臣地区)。ピカピカの車でガンガンに音楽をかけて、すっかり「悪いエジプト人」と遊んでいる状態です。帰りにシタデルの東あたりをずっと北上して回っていったのですが、このルートの夜景も素晴らしいです。砂埃にまみれ地を這って見る景色とはエライ違いです。
その後ホテルの屋上のレストランに連れて行ってもらったのですが、全員外人でお酒を飲んでいる人もいます。彼はアメリカ人やらイギリス人と談笑しているのですが、正直お酒の席は辛いです。飲むこと自体は個人の自由だと思うのですが・・・。
ほとんど英語で一日が過ぎていき、ちょっとションボリしつつ、大家さんとの約束を前に帰宅。衛星放送の工事を完成させるためです。
工事はつつがなく終了し、見事衛星放送が見られるようになりました。大家さんがムサルサル(ドラマ)と音楽のチャンネルばかりリクエストしていて、慌てて「ニュースと宗教番組が見られればいい」と要望。電気屋さんがチャンネルの設定をしてくれます。大家さんには、どうもこちらの欲しいものを常に誤解されている気がします。
「あってもなくてもどうでもいい」と思っていた衛星放送ですが、アルジャジーラ子供チャンネルが見られるようになったのは嬉しいです。テレビ自体が激しくボロいので、画面は超低解像度で色もほとんど識別できませんが、音声は聞き取れて物の形がわかれば上等です(念のためですが、エジプトにもちゃんとしたテレビはいくらでもあります)。
アルジャジーラ子供チャンネルで流れているアニメはフスハーで話されていて、アラビア語学習者には大変心強い教材です。ただ、宗教くさいお説教アニメはともかく、現代的な絵柄のアニメで子供の登場人物がみんなフスハーで喋っていると、かなり奇妙に映ります。エジプトに来る前だったら「そういうものか」と見られたのでしょうが、こちらの言語状況に馴染んだ目で見ると「こんな子供いないよっ」とツッコみたくなります。
子供が
!هذا ليس ممكنا
とか思い切りファトハタンを強調しながら叫んでいて、時代がかりすぎてコケそうです。
街でフスハーを耳にすることは99%ないし、今日遊んでいた友人はフスハーも喋れますが、上の記述からわかるように、キャラ的にフスハーから最も遠い位置にいて「フスハー嫌い」と明言していますし、第三者としてエジプト人以外がいると必ず英語で喋っています(彼は言語的にちょっと特殊なポジションにいて、一般のエジプト人はフスハーが下手でもリスペクトはしている)。
こんな風に、日常使わないフスハーによるニュース番組を、エジプト人が理解できているのが逆に不思議です。「話す」という段階になると、自在にフスハーを操れる人というのは限られているのですが、一般のテクストを読むことに関しては、教育のある人については困っている様子はまったくないし、聞いても普通にわかるらしいです。
エジプト方言が「エジプト語」として国語化されないないのは、ひとえに政治的理由によるものでしょうが、エジプト人にとって問題ではないのか、疑問に思うこともあります。アーンミーヤにはアーンミーヤの正書法を与えて「正規化」しても、フスハーの素晴らしさに変わりはないと思うのですが、現実的にはそうもいかないでしょう。
言語アイデンティティはネーションの礎の一つですが、この国、というよりアラブ世界では宗教アイデンティティが非常に強力ですし、下手にこれに抗うような政策を取れば、ネーションの方が負けかねません。仮に「信仰の言葉」としての要素を除外したとしても、「民族」という括り方をしようとすると、「一つのアラブ」に向かうのか「エジプト」に向かうのか、というオプションがこれまた想定可能で、アラブナショナリズム華やかなりし頃は実際に「一つのアラブ」が謳われていたわけですから、そう簡単に「統一言語」を敵に回すことはできないわけです。
先生と話していて「せめて記法を統一くらいできないのか」と言ってみたことがあるのですが「アーンミーヤはどんどん変化していくし、記法も人によって違う。統一なんて不可能だ」とのことでした。でも、そんなのはどんな国の言語でも一緒のことで、そこを力で押し付けるから「国語」なのでしょう。言語は常に政治的なものです。逆に言えば、「エジプト語」が確立されていないのは、そうさせない政治的パワーが働いているからにすぎません。
ちなみに、「正書法が確立されていない」というのは、「統一記法がない」というだけで、「アーンミーヤは書かれることがない」ということではありません。アーンミーヤは口語だけで、一切書かれることがないかのような誤解が一部にあるようですが、ちゃんと文字になる場面というのは存在します。スーパーで水を買えばماءではなくميةとレシートに書いてあります。携帯メール等はアーンミーヤで書いてくるし、わたしもアーンミーヤで返します(こっちは一言二言しか書けませんが・・)。
というか、書き言葉に落としてみると、意外なほどフスハーとの差は小さいもので、要するに差が大きいのは「強引に書いてみた場合のアーンミーヤ」と「実際の発音」の間です。これについても、英語のスペルと発音について考えれば、一般的な言語としてはそう無茶苦茶な話ではありません。
日本語にしても、例えば「おおきい」が「おーきい」「おうきい」と書かれていたとしても、大抵は意図を取ることができます。学習用にアーンミーヤを文字に起こしたものを読んでも、実に表記がバラバラです。外人としては混乱するのですが、一般のエジプト人に見せてみると難なく読めるので、「『おおきい』だろうが『おーきい』だろうがどっちでもええやん」状態だと考えると近いのかもしれません。

タンヌーラ1 posted by (C)ほじょこ
ラマダーン最終日、なぜ「エジプト語」が国語化されないのか
エジプト留学日記