ウナギになれ、そして状況を支配せよ

 午前中で宿題を終わらせ、ウストゥルバラド(新市街中心部)へ。ちょっと用事があり、約一ヶ月ぶりに日本語を話すことに。元気が出る。
 この時、道でS氏が話しかけてくる。一々相手にしているとキリがないのでスルーしようかと思いましたが、行き先の場所を尋ねてしまった手前、用事が終わってからお茶することに。
 最初は全然信用していなかったのですが、話をしているうちに段々良い人だとわかってくる。ナンパじゃない。半年間彼の家族と共に暮らしたという日本人の名刺と手紙を見せてもらう。日本語で書かれたその手紙は「まだ見ぬ日本人」にあてたもので、S氏の人間性を証明する内容でした。その文面がとても美しく真摯なものだったので、S氏の話を真面目に聞く気になりました。
 前に別のエジプト人にも指摘されましたが、わたしの払っているお金が高すぎる、と言います。滞在地についてはその通りだと思うし、言われないでも次の手を打ちつつあるのですが、勉強については、確かに高めなものの、内容に不満はありません。彼の意見を一部取り入れつつ、自分でよく考えてみます。
 今更なことですが、エジプトで暮らしていて(などと偉そうに言えるほど長居していませんが)感じるのは、リスクマネージメントの重要性です。これは「気をつけろ」という意味ではなく、もちろん気をつけなければならないのですが、気をつけてばかりでは何もできない、ということの方が重要です。極端な話、危険を負いたくなければ、道一つ渡ることができません。適度にリスクを負って、走りながら銃を撃つように、行動しながら不断に柔軟な判断をしていく必要があります。
 考えてみれば、これは人生の大原則であって、日本でも一緒なはずなのですが、日本の社会が異様に安全かつ均質で、良く言えば成熟し安定していて、悪く言えば硬直して先が見えているため、そういう動物的直観が鈍りがちなのではないかと思います。だから、日本人の多く、特にわたしのような甘やかされて育ったダメ人間が、エジプトに来たばかりの時に怖くて身を縮ませてしまうのは、当たり前のことです。
 でも、この短い期間の間に、散々怒ってわめきちらして、ようやく「先のことはわからない、誰が信用できるかわからない、真理は常に断片的だけれど、止まってしまったら何も起こらない」という感覚が多少なりともわかってきました。「何も起こらない」どころか、本来は死んでしまうはずです。「何も起こらない」で済むのは、単にわたしたちがボンボン日本人で、お金をもってエジプトに来ているからです。
 何が言いたいかというと、こうして路上で声をかけられることはしょっちゅう、というか誰とも会話しないで道を歩くことなど不可能なのですが、そこで起こる如何なるチャンスも危険も、トークと行動の中で切り抜けていかなければいけない、ということです。例えば、S氏の主張を全部呑むわけではないけれど、一面ではわたしの判断の至らなさを教えてくれてもいるわけで、全部拒否しては損です。
 そして常に、最後は「自分で決める」しかありません。当たり前のことですが、これが結構キツイです。でも、ここしばらくの間に、感覚を頼りにパッと答えを手に取れる自信がついてきました。正しいかどうかは神様しかわからないし、自己責任とか面倒でイヤだけれど、この混沌とした情報の海で楽しく生きるには、自分を信じてガンガン決断していくしかありません。
 ちなみに彼は「街に住んでいては全部他人だ、所詮はシティ・ライフだ」と田舎でのホームステイを勧めていましたが、正直そこまでやる根性はありません。というか、このカイロの暮らしを「全部が他人のシティ・ライフ」というエジプト的感覚は凄まじいです。日本なら、どんな田舎でもこんなに密着していないでしょう。カイロでお腹いっぱいです。
 変化が激しく先の見えないエジプト流にイライラしたり癇癪を起こしたりしていましたが、考えてみると、コロコロ変わるのはわたしも一緒、というか、元々情緒不安定なわたしが、気候から人間性まですべてが極端なカイロの空気に振り回されて、一層不安定になっていただけな気がします。
 わたしの方こそ不安定なのだから、もう秩序とかは期待せず、自分の不安定にも周りの不安定にも身を預けて、ウナギのように生きていこうと思います。
 「柳のように」の方が風流だし適切な例えですが、ウナギの方が意味不明で何か面白いので、ウナギにしておきます。
 やりたいことをやりたいようにできたせいか、授業もハイテンションで長丁場を突っ切る。S氏が「長すぎる」と言っていた授業時間だけれど、やればできる!
 今日は女性の権利について討論したけれど、先生を遮る勢いで喋りまくり、我ながら結構上達してきたな、と感じる。語彙も表現も拙いけれど、とりあえずまくしたてることはできるようになりました。単に性格がより図々しくなっただけかもしれません(笑)。
 授業というのは基本的に教師が支配するものですが、その統括権をいかに奪取するか、というのも、古今東西の学生が知恵を絞るところです。それをトークでもぎ取るべく研鑽すれば、そのまま会話力になるので、プラスに取っておきます。
 いつもワガママばっかり言ってるけど、先生大好きやで。
 授業後、宿で他の宿泊客のアフリカンと話す。英語で話しかけられているのにフスハーで答えてしまって、ちょっと切り替えに手間取る。
 タンザニアから来ているそうで「タンザニア知ってる?」と言われ、「うっ」と詰まってしまう。正直、サハラ以南のアフリカ、ということしか知りませんでした。東アフリカの国とのことです。
 「あなたの国では英語で話しているの?」と尋ねると、彼はスワヒリ語と英語を話すけれど、国全体では四つ言語が使われていて、アラビア語もその一つ、とのことでした(残り一つが何なのかは聞きませんでした)。
 近所をちょっと出歩いた時に、某国大使館のガードマンに「ヘイ、シーニー」とか例によってはやされて、ファックで返してしまう。考えてみるとしょっちゅう通る道だし、大きなライフル持ってる大男だし、気まずいことしたなぁ、と思いましたが、まぁ大丈夫でしょう。
 飲み物を買おうと売店に寄ったら、丁度店主が礼拝の最中。たまたまキブラ(マッカの方角)がわたしの立っている方向になってしまって、気まずくて何気に隣の店を見ているフリをして、礼拝が終わるのを待つ。
 宿のすぐそばで、ムスタファーくんに声をかけられる。
 「あなたいっつもそこに座ってるね。そこが家なの?」と言うとウケてくれる。
 何かの話の流れで、「婚約している」というと(本当は別に正式に婚約はしていないけれど、楽なのでそれでいつも通している)、「じゃぁ娘بنتなんだね」と言ってくる。「?」という顔をしていると、「処女なんでしょう?」と言われる。
 「その質問はちょっと失礼だよ」と返すと「ごめん」と真剣な顔で謝ってきて、可愛かったです。
 こういう時に、日本の社会通念やらを説明しようとしても、話が長くなるばかりでちっとも納得してもらえません。間髪入れずに、笑って済ませられるオチに無理やり落とすのが重要です。
 割と堅物で、延々一時間もクルアーン講釈をぶってくれた彼でも、隙あらば歯の浮くような台詞で軽口を叩いてきます。あの敬虔さとこのナンパぶりが、一人の人間に同居しているのが不思議です。
 しばらく話していたら、彼が通りの人影を見てハッとし、突然「ごめん、もっと話していたいんだけれど、あれ、僕の婚約者なんだ」と言います。大笑いして「それは大事にしないとね。またね」と言って別れました。
 ポジティヴで楽しい一日でした。

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