もっともっとバカになって、ロバになりたい そして天国でうさぎとわんこに会いたい

 昨晩さんざん歩いてファジュルのアザーンが聞こえる頃まで起きていたので、爆睡しようと予めDon’t disturbにして寝たのに、寝苦しくてちゃんと起きてしまう。悔しいので、せっかく起きたのに強引に二度寝して10時頃までゴロゴロしてみる。
 マタァムで宿題。そんなに量が多くなかったけれど、機嫌が悪いのではかどらない。昼過ぎにいつものチーズサンドイッチを食べる。
 タバコを買うのにお札を崩してもらおうとレセプションに寄ったら、昨日「アラビア語でずっと話すべき」とアドバイスしてくれたおっちゃんが「なぜ君は悲しいんだい?」と聞いてきました。「悲しそうに見える? 確かにちょっとイライラしているね」と言うと「顔に出ている」と言われます。ダーリンからも、すべての感情が顔に出る、とよく言われますが、起伏の激しいエジプト人にツッコまれるとは、いよいよです。
 何となく愚痴ってみたら「色んな人がいるからね。気にしないことさ。君は笑ったらとっても可愛いのに」みたいな普通のアドバイスをされ、別に直接的には役に立たないのですが、話したことで少し気が晴れました。
 ちなみに、昨日復活したルーターはまた死んでいました(笑)。
 授業までもうあまり時間がないので、タバコを買って近所をぐるっと歩いて戻ってくる。途中で「写真撮って」男の子に遭遇。子供だけは、何を話しかけられても許せます。「ハロー!」「ジャッキーシェン!」も、子供なら可愛いです。大人の男が無遠慮にジロジロ見てくるのはムカつきますが、おっちゃんのアドバイスを胸にニコニコしてやり過ごします。明日は早起きして暑い昼間に頑張って出かけようかな、と計画。
 A先生の授業。食料危機についての文章を読む。のんびりペース。ちょっとまどろっこしい。例によって残りが大量に宿題になる。
 M先生の授業。最初に貯蓄についての議論をして、その後沈黙(静けさ)についての文章を読む。「人間、時には一人になって静かに考える方が良い」というような内容で、読んだあとこれまた例によって、ものすごいスピードで質問に答えさせられる(わたしにとっては速い、というだけですけれど)。
 最後の方は体力的にも精神的にもボロボロになって、よくわからなくなり泣き出してしまう。訳のわからない泣き言を口走り、それに正論で答えようとするM先生に怒鳴ってしまい、すぐ謝る。
 先生が静かに「もう時間だし、授業は終わりだ。ちょっとお喋りしよう」と言う。
 気持ちよい風に乗って、蛙の鳴く声が聞こえる。
 わたしは「動物はきれい」と呟く。動物になりたい。ロバになりたい。
 先生はちょっと慌てたように「確かに動物は美しいけれど、人間はもっと美しく創造されている。せめてロバじゃなくて、カモシカじゃ駄目なのか?」
「カモシカよりロバがいい。ロバは馬みたいに速くないし、大きくないし、強くもない。足も短い。丸っこい。でもよく働く。ロバは大人しくて優しい。だからロバになりたい」
 先生は「うーん・・」という感じで困った顔をしている。
 わたしは尋ねる。
「どうしてほとんどのエジプト人は犬が嫌いなの?」
「犬はよく働き友に忠実な生き物だ。だけどその口には悪いものがあるから、一緒に食べたりしてはいけない」
「それは宗教的な意味で?」
「そうだ」
「でも、宗教だけじゃなくて衛生的にも良くないよね」そう言って笑う。
 先生が続ける。
「こんな話がある。砂漠で犬に水をあげた男が、その善行で天国に入れてもらえた。一方、猫の手足を縛って殺した女は、地獄に落ちたという」
「すべての生き物には価値があると思う。でも、生きていくためには殺さなければならないこともある。だから、食べるために屠るذبح時、神の名の元に屠るんでしょう? 屠るذبحは殺すقتلとは違うでしょう?」と尋ねると、「その通りだ」と言ってくれる。
「ただ、動物には知性عقلがない。何が良くて何が悪いのかわからない。自分が死ぬことも知らない。だからحسب(善行と悪行がカウントされてること)もない」
 わたしは不安になって尋ねる。
「子供の頃にうさぎを飼っていたけれど、もう死んでしまった。わたしは天国でうさぎにもう一度会いたい。ダーリンも子供の時犬を飼っていたけれど、もう死んでしまった。ダーリンの犬にも会ってみたい。動物は天国に行けないの?」
 先生は笑って答えてくれた。
「きっと会える。そのうさぎと犬は、もう天国で会って友達になっているかもしれない」
 こんなのはただの気休めだろうし、イスラームの教義に合致しているかもわからない。
 でも目の前に一人の敬虔なムスリムがいて、その人が弱っているわたしに優しい言葉をかけてくれた、それだけでわたしには十分だ。
 神様が本当のところ何を考えているか、そんなのわかるわけがない。偉い学者が色々言うかもしれないけれど、どんなに偉くたってただの人間だし、その人が現世でどう評価されているかなんて、わたしには関係ない。
 目の前の人間が、わたしという一人の人間に向かって、どんな話をするか、それがすべてだ。そしてまた、わたしが目の前の人間に対してどう振舞うか、それがすべてだ。
 今のところ直接アラビア語を仕事で使うこともないわたしが、仕事を投げ打ち、なぜこんな辛い思いをしてまで勉強するのか、自分でもよくわからない。みんながわたしを笑うだろう。エジプト人は、バカな日本人のカモが来た、くらいに思っているだろう。ほとんどの大衆が正確に話すこともできないフスハーに、懸命に噛り付いている姿は、滑稽以外の何者でもないだろう。
 彼らの考えは尤もだし、わたしはバカだと思う。狂っていると思う。
 もっともっとバカになって、ロバになりたい。
 ロバだって、真面目に働いていれば、きっと天国に行けると思う。

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